KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjuuub$54r$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> たとえば、「自分は空き缶をポイ捨てしながら他人の吸殻のポイ捨てを非難す
>> る」という誤りを正すのであれば
>> 1.空き缶のポイ捨てを止めた上で他人の吸殻のポイ捨てを非難する
>> 2.空き缶のポイ捨てを止められないのなら他人を非難しない
>> という方法が考えられます。
>
>二番目が選択肢に入るってことがどうかしてるよね。

何で?
#無論、それが「考え得る方法」であることは理解できるよね。

>> つまり、
>> 1.自分への要求レベルを上げる
>> 2.他者への要求レベルを下げる
>> 事によって*自他への要求レベルを一致させる*ということ。
>> 要するに「公平であれ」ってことです。
>> #更に言えば、この要求レベルは社会的に要求されるレベルの近傍にあるべき
>> #でしょう。
>
>という書き方から見ると、「自他への要求レベルを一致させる」というのを
>「要求レベルを社会的に要求されるレベルに一致させる」より優先させてるよ
>うです。

何故でしょうか?
「この要求レベルは社会的に要求されるレベルの近傍にあるべき」と明確に述
べている筈ですが?

>普通はそうじゃないよね?
>1) 自分への要求レベルを社会的に要求されるレベルに一致させる
>2) 他者への要求レベルを社会的に要求されるレベルに一致させる
>というのが社会的に求められていることです。
>「自他への要求レベルを一致させる」なんてのは、その結果に過ぎない。

そりゃ、社会的要求の話でしょ。
「自分は空き缶をポイ捨てしながら他人の吸殻のポイ捨てを非難する」っての
は「ある個人が他の個人に要求する」っていう個人的な話。別に社会を代表し
て非難しているわけじゃない。混同してはいけません。
#あなたは一個人であって社会正義の代表者じゃない。


>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjcdq0$doe$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>
>>> 部分的評価は「行為そのもの以外を一切切り捨てた評価」ではありません。
>>> その部分の評価に影響するもののみを取り入れた評価です。
>>> そういう評価をするのに有効な手法が、styleの方でもやってるような、「他
>>> のパラメータを変えず、その部分だけを変化させて評価する」というやつです。
>
>> で、そこら辺の「取り入れ」方が恣意的なんで問題なわけです。
>> 正当防衛では都合良く「取り入れ」たものが「消火」ではダメで、実質的に
>> 「行為そのもの以外を一切切り捨てた評価」であるといったようにね。
>> #基本的には、評価の結果として「影響するか否か」が分かる筈なのに、評価
>> #の前に*恣意的な選択*が行われている。それはオカシナ話だよね。
>
>評価の前に選択してるわけじゃありません。

では、如何なる経緯で選択されたのかを述べるべきでしょう。


>>> その状況のなかで、対象となる行為の評価に関係しないものを混ぜても意味な
>>> いでしょう。
>
>> 「殺人」については「正当防衛」を混ぜるのに、「消火」については「放火」
>> を混ぜない(無批判に評価に値しないと断ずる)というのは少々アンバランスに
>> 感じますね。KGK氏の判断基準が全く見出せません。
>
>「殺人」に関しては、実行前の状況として、
>A: 相手は生きている。
>B: 自分が切迫した危険にさらされている。
>というのがあって、実行後に、
>a: 相手は死んでいる。
>b: 自分への危険は回避される。
>となることを目的にしてるわけです。
>これは、b が a より重要だとみなされたときのみに「正当防衛」とされます。
>a の重要性はあまり変わらないので、b の重要性が計られるわけですが、危険
>の大きさ、切迫の度合、代替手段の欠如などが目安となるわけね。
>
>「消火」に関しては、実行前の状況として、
>A: 人の生命・財産への被害が拡大中
>B: 内心の満足は得られていない
>というのがあって、実行後に
>a: 人の生命・財産への被害を食い止める
>b: 内心の満足を得る
>ということを目的としてるわけです。
>普通に考えて、a と比較して、b は全くとるに足らないことですね。

素晴らしい詭弁ですね。^^;
前者は「殺人」と言いながら実際は「正当防衛による殺人」に限定されている
のに、後者は単なる「消火」に過ぎない。「その為に放火したこと」は最初か
ら考慮されていないわけだ。
#当然の指摘で申し訳ありませんが、「消火」による「内心の満足」は自分の
#「放火」による火災に限らず得る事が可能なわけです。

-- 
wacky