! "<3f07048d$0$260$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 06 Jul 2003 02:03:15 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<be6c5j$q3a$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> これは*行為*A,Bに主従の関係がないと言っているわけだ。
>> 
>> 文の作り方の話をしてるときに材料単独で考えてたわけだ。

> ???
> #「文の作り方の話」なんてしてた憶えはないけど…?

何の話をしてたか理解してなかったんですね。

>> 例えば、
>> 
>> <b7r41l$si5$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
>> : こちらも文の動詞は文末の「する」なわけですが、何をするかというと、「ポ
>> : イ捨てと批判」もしくは「批判とポイ捨て」なわけ。文法的に違うところに興
>> : 味の中心があるわけだ。
>> 
>> に対して、
>> 
>> <3ea14a04$3$3098$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
>> | そりゃ単にあなたの主観的な「興味の中心」であって行為の行われた状況や実
>> | 態は何ら変わらないでしょ。
>> 
>> なんてのもあるわけだ。
>> 「興味の中心」と「焦点」って、この場合何か違う?

> 「興味の中心」と「焦点」は恐らく変わらんでしょう。

ってことは、
>>>> ・「ポイ捨てしながら批判する」というのは「批判する」に焦点をあてた文で
>>>> ある
>>>> ってのに明確に反対してます。
という理解でいいよね?

まあ、とにかく、焦点が違えば評価も変わり得るってのはいいよね?

> だからね、私は「行為の行われた状況や実態」を切り捨てちゃいかんよ。それ
> は「正当防衛」といった事情を切り捨てて「殺人は悪だ」と言うのと変わらん
> よ。と言っているわけ。

で、私は、
・行為を評価するのに、目的、手段、結果を評価する材料以外の何がいるのだ?
と主張してるわけ。

> #「殺人」に焦点を当てているつもりで像がぼやけている。

「殺人」に焦点を当て、その目的、手段、結果を考察して、「正当防衛だ」と
結論付ければいいんだよね?
そういう順番で考察すれば、評価にかかわるかどうか分からん「状況や実態」
なんてのは無視して、評価にかかわることが分かってる「状況や実態」のみを
考慮できる。

>>> ここでね、
>>> 行為としては「ポイ捨て」と「批判」の二つがあることが分かるわけだ。
>>> でもね、KGK氏が自ら「「××しながら」ってのは付帯状況なんだから」と
>>> 言っている事からも分かるように、ここでの「ポイ捨てしながら」は行為では
>>> なく「批判する」という行為の付帯状況→属性であって「切り離せない一つの
>>> 行為」であるわけですよ。
>> 
>> そういう、普通の意味で「しながら」を使ってくれるんであれば、「一つの行
>> 為」と見るのにやぶさかではありませんが、「切離せない」ってのは何で?

> 「正当防衛で人を殺した」から「正当防衛」を切り離したら、単なる殺人に
> なっちゃうでしょ。

そりゃ、目的が正当になるかどうかってところを切離して行為の評価なんぞで
きんわな。
それと「ポイ捨てしながら批判」と何か関係ある?

>> 質量を計るのに色という属性を切り捨てても何も問題ないですよね?

> もちろん「関係ないと予め判っている属性」を切り捨てることは何の問題もない。

ですよね?
だから、個別に関係あるかどうかを判断しなきゃならないのに、「ポイ捨てし
ながら」が切離せない理由が一つもでてこない。

>> だから、「批判する」という行為に対して「切離せない」という根拠が必要な
>> わけですが、いかがでしょう?

> というわけで、「切り離せる」という根拠がない限りは考慮する必要があるで
> しょう。

・行為に焦点を当て、その目的、手段、結果を考察して、評価を決定する。
というプロセスを踏めば、最初から考慮する必要はありません。

> まあ、「切離せない」方の根拠としては「自己棚上げの行動はそれだけで批判
> の対象となる場合があるから」といったものを挙げておきましょう。

それは根拠ではなく結論ですよね?

そして、その結論が反対されてる。
批判の対象になるのは「自己棚上げ」という状況であり、それは行為自体の評
価とは別であると。

>> で、なんでそれが非難の対象になるんですか?

> その行為が自己棚上げな状況において為されたから。

自己棚上げの状況であることが批判の対象になるのは不思議じゃないですが、
その状況下の行為が全て批判の対象になるですか?

>>>> だから、なんで組み合わせて評価するの?
>>>> 
>>>> 「俺は良いんだ、お前はダメ」というのは、
>>>> ・「俺は良いんだ」が不当であるか「お前はダメ」が不当であるかのどちらか。
>>>> であると同時に、
>>>> ・「俺は良いんだ」が正当であるか「お前はダメ」が正当であるかのどちらか。
>>>> でもあるわけ。
>>>> 
>>>> それを単一の評価で済ませるのは無理でしょ?
>> 
>>> 違うって。
>>> 「行為者が誰であるかに関わらず成り立つ」を認めるんなら「どちらか」なん
>>> てありえないでしょ。
>> 
>> 何が違う?
>> 
>>> 行うのが同じ「行為A」なら「俺」だろうと「お前」だろうと同じ、
>>> ・「俺」がやって不当なら「お前」がやっても不当
>>> ・「俺」がやって正当なら「お前」がやっても正当
>>> なわけです。
>> 
>> 論理的に同じこと言ってんじゃん。

> は?
> 私は「どちらか」なんて使ってないですけど?

暗黙のうちに使ってます。
「俺は良いんだ」が正当なのを X, 不当なのを !X, 
「お前はダメ」が正当なのを Y, 不当なのを !Y で表わすと、
私が言ってるのは、
・(!X or !Y) and (X or Y)
で、wacky氏が言ってるのは、
・(!X and Y) or (X and !Y)
ですね。

>>> よって、「俺は良いんだ、お前はダメ」つまり「俺がやれば正当で、お前がや
>>> れば不当」は在り得ない、矛盾、不当、欺瞞、等々なわけです。
>> 
>> で、矛盾したら全部が不当なの?

> しかし、あなたと私が対等な関係にあると仮定される場合には不当でしょう。
> 何故なら、対等であるはずの両者を入れ替えた場合に成り立たないから。

でも、個々の行為は正当だったり不当だったりするよね?
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK