もっと単純に
・そのハムスターが泳げるという客観的事実は存在しない
・そのハムスターが泳げないという客観的事実は存在しない
でいいんじゃないの?
#というか、「そのハムスターが泳げるか否かは*分からない*」の一文で充分
#だと思いますよ。ワザワザ複雑に言う必要もないし…

Okamoto Yuujiさんの<ecpvf5$3m4$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>から
> 岡本@松山 です.
>----------------------------------------------------------------------
>In article <_k_Hg.27$852.15@news3.dion.ne.jp>, wacky@all.at says...
>>
>>たとえば、一匹のハムスターが居たとする。
>>そのハムスターは生まれてこの方スプーン一杯以上の水を見たことがない。
>>そして、スプーン一杯以上の水を見ることもなく死んでしまいましたとさ。
>>さて、ここで「そのハムスターが泳げないことは客観的事実だ」と言い張るヒ
>>トが居たとしたら、皆さんどう思いますか?
>>#「水に放り込んだ事もないのに何で決め付けられるんだよ」って思わない?
>
> この場合,
>       "「そのハムスターが泳げることは証明できていない」は客観的事実"
>とたとえるのが妥当だと思います.
> "「そのハムスターが泳げないことは証明できていない」は客観的事実"
>でもいいです.

#どちらかではなく、併記しないとダメだよね。

その通りだね。^^;
やってもいないことは肯定とも否定とも決め付けられない。んだからね。

同様に「やってもいないCFRの結果だって決め付けられない」でしょ。
そ〜ゆ〜こと。


<余談>
「否定的な実験結果」と「実験そのものが行われなかったこと」を同一視する
ことは出来ないよね。それで「肯定的な結果は得られなかった(から否定だ)」
と主張することは無意味を通り越して欺瞞でしかない。
</余談>

-- 
wacky