佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp>
>Date:2005/05/08 18:33:32 JST
>Message-ID:<koabe-549A39.18333208052005@news01.sakura.ne.jp>
>
>が、「表現の自由」は、日本国憲法で初めて地球上に出現した
>概念なのですか?

きちんと調べてないのかい?

実はこの点について一番まとまっているのが
司法試験の過去問の記述だったりするので
平成元年13問を全部引用してしまう。
(元の問題は穴埋め問題……以下は穴埋め後の文章な訳だ。)
「言論の自由の概念は、イギリスの歴史において国会が自由な討論の特権を
 獲得しようとする闘争を通じて確立されてきたものであり、会期中に議員
 が議員としての資格においてなした発言を刑事罰から免責するという意味
 のものであった。すなわち、言論の自由は市民的自由ではなく、議員の特
 権であったのであり、英米においては、少なくとも18世紀の最後の四半
 世紀にいたるまでは、言論の自由をそのようなものとしてとらえるのが一
 般的であった。」

別に表現の自由に限りません。英米法を勉強しているとすぐわかる
「最初はこういう目的だったけど後に別の事項に転用される」
類のものです。

そして「刑事罰から免責」なのですから
その担当が法律学以外のなにものでもないのは
言うまでもないでしょう。
(少なくともこの時期には法律学という学問体系は確立しています。)

>けど、その価値を(私的な空間であっても)実現させよう
>という発想はあってはならないのですか?

ここは長島さんの言うとおりなんだけど
あえて厳しい言い方をさせてもらえば
「表現の自由より大事な私的自治の原則を無視するのはなぜ?」
そこが全く理解できないし、理解したくもない。

表現の自由が自由権の中でも割と中心的基盤的にあるのは言うまでもない。
それはなぜかと言えば
「自由な討論によって自分たちで決められるからだ。」
じゃあ、なんで自分たちで決められるということに
表現の自由を理由に制限を加えようとする訳?

私的自治を持ち出さず表現の自由を持ち出すセンスの無さが
どのくらいかをあえてたとえるなら
ちょうど表現の自由と経済的活動の自由が衝突した場合に
表現の自由を優先させようってことになっているけど
その局面で「経済的活動の自由」を優先させようって言うくらい
センスが無い。
 
さらに言えば、表現の自由と言った場合
憲法においては「何をもってダメだしするか」
その判断基準が(完全ではありませんが)できあがっています。
例えばそれが公権力に対するものであれば
検閲の禁止だとか
明確性の議論だとか
明白かつ現在の危険の基準だとか
LRAテストとか(合理的関連性の基準とか)
一方私人間であれば
上記のような基準は採用せず
刑事罰を与えるものとしては名誉毀損罪や侮辱罪
民事的な制裁な不法行為による損害賠償請求の基準。
(これが争われたのがNifty事件ですな。)
そしてもし当事者間に合意があれば
それがそれこそ公序良俗に反しない限り
尊重されるでしょう。
(たとえば出版契約はたいてい言論の自由を侵害していますが
 おそらくたいていの出版契約は無効にはならないでしょう。)
それは私的自治の原則が適用になるからです。

で、あなたの言う「表現の自由」の範囲はどこまでか
ちゃんと基準が書けますか?
そしてその基準を言わず「表現の自由」と言うのは
いったいなぜですか?

>やはり疑問は解決しません。というか、この点は佐々木さん
>とは、ずっとずれを感じています。

単なる感情の吐露と論理的思考の差と思われます。
感情の吐露が論理的に説明がつかずずれを「感じる」のは
けっして不思議ではありません。

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