# Supersedesで出しなおしました。

>>>>> In <86n0249286.wl@soro1.cc.hokudai.ac.jp> 
>>>>>    Hiroki Kashiwazaki <reo@cc.hokudai.ac.jp> wrote:
Kashiwazaki> # そうじゃーないです。

  了解です。

Kashiwazaki> あの論理展開で無理があるのは、

Kashiwazaki> 「正鵠を失うという表現がある」
Kashiwazaki> 「ならばその逆は得るに決まってる (論拠なし)」
Kashiwazaki> 「だから正鵠を得るであっていいはずだ」

  「正鵠を得る」は辞書にのっていると以前指摘されています。
  (Message-ID: <SADAKATA.96Mar8095106@tcin0.tci.toshiba.CO.JP>)
  Yahoo辞書で検索してものっていました。

Kashiwazaki> 「いつのまにか正鵠が的になったに違いない (論拠なし)」
Kashiwazaki> 「だから的を得るでもいいはずだ」

Kashiwazaki> という流れである点です。

Kashiwazaki> 的と正鵠は異なるものなのに、明治
Kashiwazaki> 書院の漢文大系なんて持ち出して、正鵠に「まと」とふりがな
Kashiwazaki> 付ってあるからって、それらが同じであると帰結させてしまう
Kashiwazaki> なんて冗談ですか ?

  上の4行については、私も変だと思いました。

Kashiwazaki> だから、もしもあの参照を持ち出して「ほら、やっぱり的を射
Kashiwazaki> るが正しいんだ」云々と言うつもりであれば、もっとマシな参
Kashiwazaki> 考文献挙げて下さいとお願いしたいところです。

  そんなつもりはありません。
  誤りとは断定できないと思います。それ以上でもそれ以下でもありません。

  証明ではありませんが、私の言語感覚は以下です。
  「正鵠を得る」が正しいのなら、「的を得る」も正しいと思います。なぜな
ら、「正鵠を得る」の「得る」を「的を」に対して適用することを禁じるルー
ルは日本語に存在しないと思います。また、「得る」を「的を」に対して適用
することが不自然であるという、もっともらしい理由も存在しないと思います。

#   しかも、文章を書くことを仕事にしている日本語ネイティブによる使用例
# があることが、http://www.ne.jp/asahi/wh/class/oubunsha.html に示され
# ています。(その例が本当に存在するのかを私は実際に確認していませんが、
# さすがにすぐばれる嘘はつかないだろうと信用しています。)

Kashiwazaki> <ccu3dv$fsd$1@news-est.ocn.ad.jp>で

> > たとえば以下。
> > http://www.ne.jp/asahi/wh/class/oubunsha.html

Kashiwazaki> と述べていることから推察するに、他にも色々同様の文献があったことでし
Kashiwazaki> ょう。その他の文献でもうちょっと論理的にマシなものはありませんか ?

  ないようですね。
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兼松真哉