てつたろです。

(1/2)からの続きです。

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・「ノベル的特徴」について

(「IFのあるノベル」に関しては無視ですか?)

> > 「バックログを作成可能」を「バックログ機能がある」と解釈され
> > たなら言葉足らずでした。「作成可能」には「バックログ機能を
> > 組み込める」ものも含みます。
>
>  機能を組み込めるって、組み込むのは誰です?
>  あとでメーカーがパッチで提供するってことですか?
>  それともユーザー自身? そんなことないですよね。
>  いわゆる「TVゲーム」ではそんなこと無理だし、パソコンゲー
> ムは可能だけど、それを始めたらきりがない。
>  やろうと思えばテキストの変更も、グラフィックの変更もできる
> んですから。
> 「機能を組み込める」なんて定義にするのは非現実的すぎますよ。

# 移植時に「バックログ機能を組み込みました」
# ってありますけどね。
# キリがないのでこの手の議論は止めます。

なんだか論点が大きくずれているようなので
「分岐選択肢型」と言い直しましょう。
これならご理解頂けますか。
(って無視された部分の再説明ですが)

> > 「RPG的」なAVGの場合、行動の自由度が高い
> > ので同じ場所を何度も行ったり来たり、同じ選択を何度
> > も試みたりします。
> > 「同じ文を繰り返す」と書いたのは、同じ選択を繰り返し
> > た時に、という意味です。
> > (「別の場面で同じ文が出る」という意味ではありません)
>
>  だからTo-Heartでは、2階行って、誰もいなければ「なんで
> 俺はここに来たんだっけ」みたいな記述が出ますよね。
>  同じ選択を繰り返せば、同じ記述が出ますよね。

3回も4回も繰り返せましたか?
時間は確実に経過してるでしょ。
停滞の場合、時間も経過しません。
YU-NOの前半は同じ場所を行ったり来たりする
だけじゃ時間が経過しないでしょ。

>  場面が違うって言っても、プレイヤーは前回と場面が違う
> のかどうかは、認識しませんよ。

下校時間になれば認識せざるを得ませんね。

> 「違う場面に行かなかった。同じ場面だ」とプレイヤーは認
> 識します。慣れてる人は「停滞した」、つまり「フラグ立てに
> 失敗した」と思う。
>  違うメッセージが出て初めて「さっきとは違った」と思うんです。

「フラグ立てに失敗」は「停滞」と同義では
ありません。
To-Heartの場合、フラグ立てに失敗したまま
先に進みます。
「選択肢分岐型」ですね。
(でも、恋愛SLGの性質もありますが)

> > > > 明確な区分ができないといえば、「投影型」「他者型」も(飯塚
> > > > さんご自身も認めている通り)境は曖昧です。
> > >
> > >  当たり前ですよ。そんなこと。
> > > 「投影型」「他者型」はプレイヤーの感覚の分類なんだから。
> > >  逆にゲームの分類は、物理的にモノが存在するじゃないですか。
> >
> > 「投影型」「他者型」は「ゲームの分類」ではなかった?
>
>  主人公とプレイヤーの関係をわかりやすくするために定義した、
> プレイヤーの感覚から分類したゲーム分類です。

「判りやすい」かどうかも感覚的判断基準。
実際、私はここに来て判らなくなりつつある。

> > >  誰でも同じ内容を確認できるでしょ? だからウィンドウ表示か
> > > どうかとか、誰でも必ずわかる分類がされてきた。
> >
> > その分類では語れないから「ノベル的」という表現を出したんです。
>
>  語れないからって定義の開発はやめてくれ、と既に指摘して
> その点では合意を得ていたでしょうが。

どのように合意したかは以前に書いた通りです。
(反論はなかったけど無視ですか、そうですか。
もう同じ説明をするのは疲れました)

>  定義を必ず誰でも確認できるものにしてくださいよ。

ノベル性が高いかどうかはシステムに依存
しません。
従ってシステム的な分類はノベル的かどうか
の分類とは相性がよくありません。

集合的にほぼ重なるシステム的な分類が
 「選択肢分岐型」
ですが、"nearly="のレベルです。

「投影型」と「他者型」は
・他の分類で語れないから出した定義である
 (飯塚さんの後述による)
・必ず誰でも確認できるものではない
 (判断は感覚による)

やっぱり自己否定ですね。

> > 「NVGとAVGの分類での議論」て、「NVGとAVG
> > の特徴の違い」以外に出ていないのですが…
>
>  AVGとノベルゲームの議論は過去に何度もあります。

「AVGとNVGでノベル性に違いがある」と
いう議論が、ですか?

いい足りなかったのは「私と飯塚さんの、
『主人公の顔』に関する議論の中で」
ということです。
ゆえにNVGとAVGは今回の議題には不適切な分類
でした。
特にAVGの中に「投影型」と「他者型」がある
のに、それらを区分できないようでは無意味
です。

> > >  感覚の分類と物理的な分類と一緒にしちゃダメですよ。
> >
> > 特徴の一つ一つは物理的ですが、トータルで
> > 見るとゲームの中に現れるその特徴の多少から
> > 「感覚的」に判断するものと思っていました。
>
>  ジャンルの分類、たとえばAVGとノベルゲームの分類では、
> 感覚的な判断をしません。

不適切な分類を論議しても無意味です。

> > >  それに最後にパズルがあるんですが、あれは無視するんで
> > > すかね?
> >
> > と仰っていますが、
> > 「パズルゲームの要素があるからYUNOはAVGじゃない」
> > と主張しているようにも聞こえます。
>
>  メッセージがウインドウ表示ですから、AVGです。

「ソニックアドベンチャー」もAVGなんですね。
「スーパーマリオサンシャイン」も。
あるいは「プリンセスメーカー」は?

> > 「ノベル性の高低」は感覚的なものですから、
> > 感覚的分類を「議論すべきではない」と仰る
> > ならそもそも「投影型」「他者型」の議論を
> > 否定するようなものです。
>
> 「投影型」「他者型」というのは、議論のための便宜上の分類です。
>  主人公とプレイヤーの関係を簡単に判別する既存の方法はなく、
> こういう分類がわかりやすく、議論しやすい。

目的は一緒なんですが。
そもそも「他者型AVGってどんなAVGだろう」と
いう考察から生まれた分類です。
「他者型」の境界が感覚によるなら「ノベル的」
の境界も感覚によらなければなりません。

>  最初のころにも書きましたが、昔からドラクエとFFではどっちが
> 優れたゲームか、というような議論があって、そういう時に主人公
> とプレイヤーの関係の違いをはっきり示した「投影型」「他者型」
> を出して議論してきたんです。
はっきり示したなら「主人公が意思表示を
する」のは「投影型」なんですか、「他者型」
なんですか?

どちらに分類されるかは感覚的です。
私は総体的には「FF」を「投影型」だと判断
していますし。
(RPG全般はノベル的AVG/NVGよりは「投影型」)

> > > > 「YU-NO」はいい例になりますね。
> > > > すなわち、前半が「RPG的」で後半が「ノベル的」です。
> > >
> > >  バックログ機能なんてついてませんけど。(^^;)
> > >  それに最後にパズルがあるんですが、あれは無視するんで
> > > すかね?
> >
> > 20:1の「1」を無視するのです。
>
>  そんな自分の都合で無視できる定義じゃ議論できないですよ。
>  だいたい前半と後半で分けましたけど、総体としてはどっちなん
> です?

飯塚さんもパズルゲームに分類せず、AVGと
判断されたじゃないですか。

2種類以上のゲーム分類の特徴があるゲーム
をご存じないようでしたら、ゲームの分類に
ついて語られても底が浅いと感じてしまいます。
(新興の「デジタルゲームブック」は兎も角
何年も前からある「アクションAVG」を知らな
かったぐらいですから仕方ないですが)

総体としてなら「YU-NO」は両方に分類される
ということになります。
(飯塚さんの「メッセージがウインドウ表示
だからAVG」と同じ判断基準で言うならば。
両者は決して相反する分類ではありません
から、2種類に同時に分類されるというケース
もありえます)

> > > > ところで「To Heart」で「話が停滞して正解を
> > > > 出さないと先へ進めない箇所」ってどこかに
> > > > ありましたか?
(中略)
>  だって実際「停滞」してるでしょ。
>  操作をして同じメッセージが流れたら、普通停滞したと判断
> しますがね。

回答は前に書いているので省略します。

> > 確かに「To Heart」のように両方の特徴を持ってい
> > るAVGもありますが、多くのAVGはどちらか一方の
> > 特徴を圧倒的に多く持っています。
>
>  両方の特徴って?

「ノベル的」特徴と「RPG的」特徴

>  だいたい「YUNO」で無視して、「To-Heart」が「両方持ってる」なら、
> 今の時点で既に例外が2例も出てしまってる。
>  例外扱いがこれだけ簡単にゴロゴロ出る時点で、議論の定義と
> しては不適当だと思います。

元々「RPG的」特徴だけのAVGに「ノベル的」
特徴が入り込んで行ったから混在は当たり前。
最近はほとんどのAVGで「ノベル的」特徴が
強いです。

# 2例を「ゴロゴロ」と判断するのも感覚的
# ですねぇ。

>  それどころか「YUNO」と「To-Heart」といえばですね。ストーリー重
> 視ゲームの代名詞となる極めてメジャーなゲームですよ。
>  それを例外扱いにするゲーム分類って何? って気がするんですが。

# きっと気のせいですよ。^_^

「YU-NO」の頃は選択肢分岐型が出始めた頃で
前半後半でスタイルを変えたのは実験的意味
合いもあったのかも知れません。
(製作者ならぬ身にはわかりませんが)
ほかに「YU-NO」のようにコマンド選択型と
選択肢分岐型が同レベルで混在するゲームって
ご存知ですか。
知らなければ「特異な例」ということで合意
頂けませんか?

「To-Heart」は恋愛SLGと分類されることも
あることからも、「RPG的特徴」が強いことが
判ります。

> > それでも「時間の無駄」と仰るなら、やはり
> > 「投影型」と「他者型」の比較も時間の無駄
> > だったと仰るわけですね。
>
> 「投影型」と「他者型」の分類は、既存の定着した分類が存在し
> ないですからね。

「ノベル的」「RPG的」も同じです。

>  対してゲーム分類に関しては、これまで定着した分類がある
> でしょう。しかも実にわかりやすい分類で存在する。それを使
> わない理由がないわけです。

# 「既存の定着した分類が存在しないゲーム
# 分類」って説明と矛盾しまくりです。^_^

分類できなきゃ使えないでしょう。

ストーリー性が高いAVGと低いAVGがあると認識
されているのに、それらを分類する基準はある
のでしょうか?
そもそも飯塚さんの認識する「ストーリー性」
は私の認識する「ノベル的」と基準が異なる
ようですし。

# もうひとつおまけに、「ウイザードリー
# ネメシス」はどう見ますか。
# AVGとRPGの両方の特徴があるゲームですが。

>  一緒にはできませんよ、最初から。

飯塚さんが「ノベル的」「RPG的」を排除しよう
とする理由は「投影型」と「他者型」にも適用
できます。
また、「ノベル的」は「他者型」に適応する
AVGを抽出する為の分類なので、同じ性質を
持つのもやむをえない。

> > >  このときは「ノベル的」などという記述を無視して、従来どおりノベルゲ
> > > ームとAVGの定義で議論をしています。
> > >  だからその前の記述が、
> > > >新型というか、ストーリーを見せること重視したAVGも出てきたという
> > > >ことでしょう。AVGの形態は何も変わってませんから。
> > >
> > >  となってる。
> > >  ストーリー重視のAVGとその他のAVGと、同じAVGで線引きがないの
> > > は当然でしょうが。
> >
> > 選択肢分岐型がAVGの初期からあったと?
>
>  選択肢分岐でなくストーリー重視です。よく読んでください。

「AVGの形態は何も変わっていない」
に対する疑問です。
「ストーリー重視」もあとから「出てきた」
のでしょう?
「選択肢分岐」を「ストーリー重視」に置換し
「ストーリー重視がAVGの初期からあった」
と読むとご自身の文章と矛盾しますよ。
よく考えて答えてください。

# ところで「ストーリー重視」も感覚的基準
# ですね。

> > もし、「投影型」と「他者型」が感覚に基づく定義で、「ノベル的」
> > 「RPG的」という分類を認めないと仰るなら、以降の議論を進め
> > る気はありません。
>
>  前者と後者の違いは、既に説明しました。
>  それが理解できないなら、確かに以降の議論は不可能ですな。(^^;)

どこが理解できていないのか、なぜ理解でき
ないのか、それがご理解頂けないのなら、ね。

> > 「PCの存在がゲーム中に明確に表現されるべきではない」
> > というケースがプレイヤーの感覚に基づくのなら、あなたが
> > 感覚的に「そう思う」ことは尊重しますから、私が感覚的に
> > 「そうは思わない」ことも尊重して下さい。
>
>  だーかーらー。
>  何度何度何度何度何度何度何度何度何度も説明しているとおり、
> 主人公=プレイヤーというのは、過去の歴史的経緯とゲームの特
> 長によって、そうなってるんです。

# 同じ説を繰り返せば納得して貰えるなら私も
# 苦労はしないのですが。
# (もう一度言います。
# 「念仏じゃないんだってば!」 ^_^;)

いくつか突っ込みどころはあります。

・「主人公=プレイヤー」が「主人公をゲーム
 中に明確に表現すべきでない」とする理由に
 なっていないこと
 なぜなっていないのかは、手を変え品を変え
 説明してきたのですが。

・「過去の歴史」の範囲が不明確であること
 最も旧い時代のコンピュータゲームでは
 「主人公」なんて存在しませんでしたし。

・「過去」についても異論はありますが、とり
 あえず現在の話であること
 (なんでこうも土俵を引きなおすかなぁ)
 「他者型」のゲームは存在するんですよね。
 「他者型」なら「PCがゲーム中で明確に表現
 されるべき」なんですよね。
 「他者型」の基準はプレイヤーの感覚に
 基づくんですよね。

例え投影型でもPCのキャラを明示することが
投影の妨げにはならないことも述べました。

 「ウルトラマン」や「仮面ライダー」のよう
 な明確かつ強烈なキャラが主人公でも投影は
 可能です。
 むしろ「なりきる」という点では無個性より
 役を演じやすい。

上記の主張に対する反論は頂いた記憶があり
ません。(これも無視?)

> 私の「感覚」でなくて、過去の歴史的経緯とゲームの特徴。

だって、ここまでの議論で飯塚さんの主張は
ほとんど「感覚」的判断に基づいていますよ。
(文中の指摘を探してください)

遊びの特徴に関しては、「カイヨワ」という
哲学者が「遊びと人間」という著書の中で
アゴン(競争)、アレア(偶然)、ミミクリ(模倣)、
イリンクス(眩暈)の4つに分類しています。
AVGは「ミミクリ(模倣)」に分類できますが、
面白いのは「読書」「スポーツ観戦」も同じ
「ミミクリ」に分類していることです。

カイヨワの分類から言えば、「読書」をする
ようにゲームを楽しむこともゲームの特徴と
いえるでしょう。

また、「ゲーム」本来の意味は

 ゲーム 1 [game]

 (1)(勝ち負けをあらそう)遊び。遊技。
 「トランプ-―」
 (2)(スポーツの)試合。競技。また、その回数。
 (3)テニス・卓球などのセットを構成する単位。
 (4)ゲーム-セットの略。

 三省堂提供「大辞林 第二版」より

なので、「ゲーム」本来の特徴はアゴン(競争)
なのですが、「バッドエンドが負けでハッピー
エンドやトゥルーエンドが勝ち」という意識
は昨今のAVGでは低くなりつつあります。
(わざわざ「負け」ようとする人はいないで
しょうから「バッドエンド」も負けではない
という意識)

# 飯塚さんの説を全面否定するのではなく、
# 色んな考え方が存在して分類も多様だよ、
# と言いたいだけです。

>  もう、忘れっぽいなら、過去の記述を見ながら書いてくださいよ。(^^;)

飯塚さんもね。
再三言いますが、人に指摘するなら
まずご自身で実践してくださいな。

# 飯塚さんの過去の投稿ってすぐ消えますね。
# googleで探せば見つかるので読めはしますが
# 消えてもいいようにログは残しています。
# (バックログをコピペで残す、確かに面倒
# です)

# それでもテキストで0.5MB近くあると、ピン
# ポイントで検索しないことには読む気にも
# なれませんけれどね。 ^_^;;

>  で、今までの議論がてつたろさんの「感覚的にそう思う」という「精
> 神衛生上の問題」なら、それをゲーム一般に適用するのは無理で
> すし、他の人も理解しないでしょう。

# 「感覚的な同意」を得るのは「共感」。
# 「共感」が得られるならばそれでもいいや。

# 元々「想い出にかわる君」というスレッド
# で、「男性キャラ多すぎ、しゃべりすぎ」
# という渋谷さんのご意見を読んで、「そう
# かなぁ、私はむしろこう思うんだけど」と
# いう感想を書いた記事から始まりました。
# (他の人はどう「感じているんだろう」という
# 疑問)

# つまり私にとってこの議論は当初の目的では
# なく、飯塚さんへのお付き合いから始まった
# ものでした。
# (結構のめり込みましたがね)

閑話休題。
「感覚的判断は精神衛生上の問題」ですか。
飯塚さんの説は「感覚的基準」に基づくもの
がほとんどですから、一般適用できない話だ
と判断します。

ここまで書いてもご理解頂けないなら、この先
の合意は見込めそうにありません。
単に話題が拡散するだけで、一向に結論が見え
ない。

先が見える回答を頂けたら、議論を続けます。

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・あとがき(「実験」の記事を読んで)

飯塚さんの「実験」を読んで我々の記事が
「もはや議論と呼べるものではない」こと
を遅蒔きながら自覚しました。
(あちらのコメントは別途)

おそらくこれが最後になるでしょう。
先の見えない否定合戦にモチベーションを
保つことができません。
また、私事ですが多量の仕事と上司関係とで
4月以降精神状態が悪化しつつあります。
このような状態で議論を議論としてあるべき
方向へ軌道修正させる気力はありません。

それでも一度は仕切り直しを画策したのです
が、元の木阿弥どころかより泥沼化する始末。
(つくづく力不足を感じます)

枯れ木も山の賑わいかと思って投稿を続けて
きましたが、花も実も結ばぬ雑草ばかりでは
ね。

「この投稿自体も中止しようかな」と思い
つつ「折角ほぼ書きあがったのだから」と
考えてしまう私は貧乏性なのか、単に未熟
なのか。
(おそらく両方)

その中でも新たな考え方に気付かされたり、
飯塚さんに反論することによって、自分の
主張したいことに改めて気付かされるケース
もあるなど、実りも確かにありました。

その点では飯塚さんに感謝しています。

もし今度議論するようなことがあれば、主題
をはっきりと定め、脱線しないように、ルール
を明確にした上で行いましょう。

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この記事へのメールは到達可能ですが、基本的に
読まずに捨てます。
私宛のメールは以下にお願いします。
ttn8ji34w8@mx1.ttcn.ne.jp