"Shinji KONO" <kono@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message news:3989861news.pl@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp...
> 河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
> 
> In article <cak135$2k3v$1@nntp.tiki.ne.jp>, yayamamo <yayamamo@rr.iij4u.co.jp> writes
> > 光子1つの時に質量(というと誤解を招きそう
> > ですが)が測定できないのは、実験器具の精度の問題であり、
> > 「量が質に転嫁する」的なものではないと考えているのですが...
> > ややまもです。
> 
> ちゃうってばさ。光の粒子、もちろん、それは物質なわけだけど、
> その静止質量は、0 だってことになってます。それは理論的な仮定
> だと言って良いと思う。

ゲージ対称性が仮定なら光子の質量が0になるのはゲージ対称性
からの帰結になります。しかし、フェルミオンの質量はゲージ原理の
ようなものがなく単なる仮定にしか過ぎません。

> 物理屋さんの間では質量っていったら静止質量を指すんだなんて
> いう話も聞いたことあります。じゃぁ、静止質量って何だろう?
> そもそも静止しているものなんて本当にあるのか?

静止状態が現実にありえるか否かは別問題です。静止質量というのは
古典的な概念であって古典的なラグランジアンで見る限り運動項の
係数としてきちんと決められます。しかし、実際は量子効果によって
そういった古典的な描像は0次の近似でしかなく実際に観測される
質量は量子効果を考慮した有効質量でしかないというのが場の理論
の結論です。

その有効質量を静止質量と見なして有効作用でもって古典的に考えて
いるのが実際で、そこから逆算して0次の係数を真面目に計算しようと
したら無限大になってしまうってのが場の理論の困難と言われる部分で
あって、これらを困難を克服するためにくりこみの考え方が導入された
のは有名な話です。

いずれにせよ、量子論(量子場の理論)的には絶対静止などということは
あり得ないことなんですが古典近似(すなわち大きなスケールで見たときの
有効理論)としては静止概念はあり得るわけで、そこでの質量を議論する
ことはある種のエネルギースケールでは十分有効な考え方です。

> 逆に、光を閉じ込めたら、それは重さはないのか? とか聞くと、そ
> んなことはないんだよね。じゃぁ、その重さのメカニズムは? って
> ことになると実は一筋縄ではいかないんだよね。

また、わけのわからんこと言って。w

「光を閉じ込める」って具体的にどういうこと?そこらへんをきちんと
言わないと議論できません。理論上、平坦なミンコフスキー空間
(ユークリッド空間でも良いですが)では光を閉じ込めることは
できません。ただ、ゲージ場のトポロジカルな配位としてはインスタントン
のような時間的空間的に局在化したゲージ場を考えることはできます。

もっと言えば3次元空間のゲージ場のトポロジカルな効果によって
フェルミオンを構成することは理論上はできます。それはボゾンから
フェルミオンを作るというChern-Simons理論のお話です。

逆にフェルミオンからボゾンを作る話はテクニカラーやトップクォーク
凝縮などの強結合場の理論なんかにあります。

ただ、もっと高次の対称性としてボゾンとフェルミオンの対称性(超対称性)
なんかもあるんで時空間の対称性とゲージ場の対称性を分離して考えること
自体ナンセンスなのかもしれません。

私自身は時空間とゲージ場は本質的には同じものが何らかの関係で分離
して見えているだけであって超高エネルギー領域で詳しく見れば全く区別の
つかない何らかのユニークな場になっているのではないかと想像はしてます。

ただ、超弦理論にしても統一理論にしても作用原理に基づいてラグランジアン
を使って議論されているんで、粒子の入れ物である時空間と粒子の場は
どうしても区別して考えてしまうことになるんで、ここらへんを何か全く新しい
理論的フレームワークを使って時空間とゲージ場を区別しないで統一できない
のか興味はあります。

# それは実はアインシュタインの統一場理論の思想にも通じるわけでも
# ありますが・・・