In article <20030819004619cal@nn.iij4u.or.jp>, SASAKI Masato wrote:
>> で、本質は何かと言うと、私が読むに、当人が発言に対する責任を
>>持つか持たないかという点です。
>
>問題を正確に分析するためには
>「発言に責任を持つ」という主観的要素と
>「議論に際し有益な論を展開する」という客観的要素とは
>分ける必要があると思います。

 そうですね。

>というのでこれからのfjの目標を
>「まともな議論と情報交換の場」と置くのであれば
>これは他のメディアではなかなか存在しないものでいいだろうと
>私個人は考えている訳で……。

 「なかなか存在しない」というのが、個人的な感傷を言えば悲し
い話なんですが、私が日本の社会を観察しても同じ結論です。そん
な中で、「まともな議論と情報交換の場」という目標を、私も置き
たいと考えています。

>そうなると「まともな議論と情報交換ができる」のであれば
>氏名を名乗るか名乗らないかなんて実はどうでもいい。
>
>だけど人間とは弱いもんで
(中略)
>「まともな議論と情報交換」を実現するための手段として
>これまた有効性が世間的に確認されているのが
>「自分の氏名を名乗る」ってことだわな。
>そして言論の責任をとることで「まともな議論と情報交換」に
>寄与しようという仕掛け。

 統計的な話として、その通りだと思います。

# だから、原則実名は、私も支持する所です。

>さっき主観的要素と客観的要素を分けなきゃいかんと言ったのは
>氏名を書いている人でもまともなことをやってなきゃ
>そりゃあ猛省すべきだし批判されるべき
>氏名を書いてない人でもまともなことをやっていれば
>それはそれで賞賛すべきなんです。
>そこのチェックも忘れてはなんね。

 この点、同感です。

 なお、チェック自体が馬鹿なチェックだったら、それもまたチェッ
クの対象になるという、なんというか無限連鎖的な迂遠な仕掛けし
か現状存在しませんが、これはこれで仕方ないことなのでしょうね。

 裁判の三審制みたいな効率性(?)を求めたら、たぶん知的堕落へ
の扉を開けることになるのでしょう。

>それと並行して
>
>> 要するに、発言に対して責任を持つ・持たないという軸と、投稿自
>>に実名か非実名であるかという軸で記事をプロットすると、けっこう
>>相関があるという話を前提に、上記の基準があると言えるということ
>>です。
>
>のあたりの話をしないと正解ではないと思っています。

 「けっこう相関がある」というのは、私の印象なのですが、現状事
例を渉猟して集計する手間を私はかけていませんから、印象でしかな
いのが困ったものです。

# でも、私がやらないと誰もやらんだろうしなあ。具体的に「■□は
# 無責任な馬鹿である」という評価を馬鹿全員に対して名指しでやら
# ないとならないでしょうし、それによって予想される馬鹿からの反
# を受けることを承知でデータを整理することに価値を見出す人は、
# やっぱ、いないだろうなあ。
# 少しづつ試行してみましょうか。

>そして匿名でもいいんだってことにどうしてもしたいなら
>「匿名でもきちんと議論と情報交換できているじゃないか」
>という実例で証明してほしいのであります。
>……不可能じゃないことは
>  匿名でもきちんと議論と情報交換ができている人がいることで
>  明らかですわな。
>
>……ちなみにfjが他のメディアにあわせる必要はないでしょう。
>  そんなことするくらいなら端的に他のメディアを使えばいいやん。

 「匿名でもいい」という一般化した表現は、私は危険だと思いま
す。
 人を見て法を説け、ではありませんが、「コイツの場合は匿名で
もいい」という形で個人依存の話にしないと、実情に合わないルー
ルになってしまい、形骸化してしまうと考えられます。

 原則実名、という慣習が、そもそも統計的に弱さをカバーするた
めのものだとするなら、カバーする必要が無い人には適用する必要
は無いのです。そこは、実情に合わせることが必要でしょう。

 なお、その個人がどう判定されるかという話は、また別の問題で
しょうが、それは <87u18ggxu7.fsf@artemis.scn-net.ne.jp> でみ
ひ〜☆氏が述べていたように、「(本人の)労力が必要」というだ
けで十分だと思っています。

# この話においては、「弱いもん」でない人をサポートする制度は、
# 別にいらんでしょうから。

-- 
頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp