頼光 wrote in message ...

>
>>自分だけの悟りを得るための修行ではないはずです。
>>お釈迦様にしても、イエス様にしても、当時の社会の底辺に暮らす人々をいかに救
う
>>ことが出来るか、圧制の下に虐げられている人々をいかに救うことが出来るか、そ
の
>>視点は半分以上の心を占めていたと思います。
>>自らの苦しみから脱却する方法。そして自らと同様苦しみの中で喘いでいる人々を
い
>>かにして救うことが出来るか。お釈迦様、イエス様のお心にはそんな事しかなかっ
た
>>のではないでしょうか?

 >まず、「自分だけ」でないと、なぜ言えるのですか?
 >大乗非仏説のように、「自分だけ」ではないのなら、それはもうシッ
>ダールタの教えではないという立場があり、私もそう考えます。むろ
>ん大乗仏教や密教を「仏教」と呼ぶのは適切だと思いますが、少なく
>とも「お釈迦様」なりシッダールタという個人を持ち出すならば、そ
>こでは「自分が悟る」ということが中心課題です。

「人は自らのためのみに生くるにあらず」
これが真理だからです。
それにしても、タマゲタ!!!

 >また、イエスはさておき、シッダールタが「底辺に暮らす人々」を
>敢えて取り上げたりしていたとは私には考えられません。そう言える
>根拠は何ですか?

お釈迦さまは、人間を何人も殺してしまった、大罪人アングリマーラや、シュードラ
といわれ奴隷の身分の人々も教団に入ることを拒みませんでした。それは、お釈迦様
の心には、「人間はみな平等」という慈悲がおありになった証拠であります。誰から
も嫌われている殺人鬼さえその内なる善意識を信じ、「アングリマーらは、善智識な
り!」とお釈迦様は言われたそうです。
このような、いろいろなお話を耳にする度、そのように思わざるをえません。
「底辺に暮らす人々をあえて取り上げていた」とは小生は言わず、自分の悟りだけで
はなく、「他者の苦しみをいかに救うかが、お釈迦様の心の中ではとても重要な位置
を占めていた。」というようなことを言ったと思いますが・・・!!!

 >そもそもシッダールタの中心的な問題認識は、四苦八苦の克服であ
>り、それはクシャトリアだろうがシュードラだろうが平等に抱くもの
>であって、「底辺に暮らす人々」を特に注目したものではありません。

神の成されるわざは、「いつも苦しんでいる人とともにある」ということらしいで
す。
全ての人と共におられるのは当然のことであり、当たり前のことでもあります。
しかし、「神も仏もあるものか」とわめいている人と、「神よどうぞこの苦しみを癒
してください」と言っている人と、どちらに神は行きやすく助けやすいでしょうか?
?それは、人間の考えることと大差はないと思います。

>> >>>この般若般若波羅蜜多の行とは何をさすと思いますか。
>> >>>皆さんのお考えを承りたい。
>
>>>>つまり内在された偉大なる仏智に到達するためには、
>
>>>般若心経は「到達するため云々」とは書いていませんし、それは本
>>>質ではありません。単に到達した時に得た結果を書いています。そ
>>>してこの得られた結果は、修行することなく、誰でも得られるとい
>>>うのが重要です。そのため「空」の説明ですから。
>
>>お話になりませんね。絵にかいたお団子を見ただけでお腹が満腹するでしょうか?
>>理屈だけで修行しないでみな「愛」が何かを理解し、愛せるようになるでしょうか
?
>>だとしたら、今ごろ地上は天国のごとくいかなる地においても戦争はなく、たとえ
嫌
>>なことがあったとしてもみな自分を反省し自らの内に神理に反する思い、行いを見
つ
>>けることが出来、あはは、おほほとどこの国でも微笑みや、笑いが絶えない世の中
に
>>なっていなくてはおかしいですね。


 >第一に、般若心経は大般若経のアブストラクトであり、そもそも文字
>数にしたって300字も無い代物です。従って、詳細な話が無いのはアタリ
>マエ。
 >第二に、般若心経というのは要するに哲学書であって、それによって
>腹が膨れたり社会改革ができたりする代物ではありません。そもそも、
>まさに、理屈を述べた文書です。修行は、それを読んだ個々人がするも
>の。

左様。ごもっともなお話です。
「哲学」、「宗教」、「科学」のちがいは何でしょうか?分かりやすくお答えくださ
い。
小生は、上述の三者とも、「人間の幸せを追求した、素晴らしき学問」であり、大差
はないと思います。

 >要するに、そもそも般若心境は crx 氏が言うようなことをスコープと
>していないのですから、こうな批判の方が、「お話になりません」な代
>物です。
 >crx 氏の言は、いわば、空を飛べないと言って潜水艦を批判するが如
>しですね。

意味不明です。小生は他者の迷惑をする潜水艦に対しては、批判しますが、他者の為
に汗水流しながら働く潜水艦には拍手喝さいしています。潜水艦には潜水艦の、鳥に
は鳥のミミズにはミミズの働きがあります。ミミズなくして「良土」なし。

>>>何をするか、どう生きるかは、好き勝手にしてよく、全く制限され
>>>ません。
>
>>どなたが制限をされているのですか?
>>六波羅蜜をみんながしなければ死刑に処す。などとはどなたも言われていません。
>>お釈迦様は、みんなが一番分かりやすく、かつ一番手っ取り早く仏法を理解でき、
早
>>く本当の幸せになって欲しいとの願いを込めて、智慧をふり縛った結果、六波羅蜜
を
>>まとめられ、お示しくださったのです。それはいわゆる人類全てへの神からのプレ
ゼ
>>ントなのです。

 >日本語が読めないのでしょうか?
 >「制限されません」とは、般若心経の中に「何をするか、どう生きる
>か」に関する記載は無いという意味です。
 >勘違いも大概に。

おばかな頼光!このジョークが読めんとは・・・
勘違いも大概に!!!

 >また、「神」なんざ仏教ではそうとう低位の存在で、彼らが提供でき
>ることはせいぜい現世利益への期待でしかありません。そんなものを仏
>陀であるシッダールタを同列に持ち出すのは、噴飯物でしかありません。

意味不明!おばかな頼光!!
神は仏も天使も梵天もすべてのこの世のもの、あの世のものを含みます。
お釈迦さまにはそれが分かっていました。なにしろ華厳経に記されているとのことで
すが、お釈迦様は、百カルパ、千カルパ・・・・を悟り・・・・と記されているとの
ことです。それは、聖書の「使徒行伝」に記されている、「酔ったように異言を語っ
ていた。」ということと同じです。異言とは、過去世の言葉です。聖書の中では弟子
達が異言を語っていたのですが・・聖霊が下って・・・

>>例えば愛するわが子の命が奪われてしまったとき、一番苦しくつらいその心は、何
を
>>したらその苦しみが軽く楽になると思われますか?

 >執着を捨てることです。

なるほど。了解。小生もそのように思います。ではその執着の捨て方は???

 >これはまさに、愛別離苦の事例で、愛に執着するから苦しいんだぞと
>いう話ですね

なるほど。そのとおりですね。
四苦八苦とは
生老病死
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五取蘊苦
ですね。

では五取蘊苦とは何でしょうか?
小生が答えましょう。答えは「上の五つの苦しみ全部の苦しみ」ということです。
お釈迦様の分け方は、不思議な分け方ですね。それがお釈迦様らしいわけ方なので
す。

crx