Mon, 19 Dec 2005 10:49:23 +0000 (UTC),
in the message, <do637j$9og$1@bluegill.lbm.go.jp>,
toda@lbm.go.jp wrote
>>その者が運転することができる自動車等の種類を限定し、
>>その他自動車等を運転するについて必要な条件を付し、
>
>の「その他」って何ですか?
(中略)
>これは「限定」に対する「その他」としか読みようが無いと思うのです。

これはその通りですが、

>即ち、この条文自体は「限定」は「条件」の一種であると
>主張しているとしか読めないと思うのですが、どうでしょうか?

ここが違います。

先ず普通の国語として考えても例えば、
「同窓会で、昔の担任の先生にお会いし、その他数人の旧友達に会った。」
この例文では「昔の担任の先生」は「数人の旧友達」の一種ではありません。

法律的には、法律学小辞典にも載っていますが一応、「その他」と「その他'
の'」は通例として法文上使い分けることになっています。
「限定その他条件」とあれば「限定と限定の他に条件」という二つの事項を並
列に列記している。
一方、「限定その他'の'条件」とあれば「限定は条件の例示」である。
これが一応の使い分けです
(結局のところ、「その他」というのは「それ以外に」とほぼ同義。
 実のところ「その他」は無くても意味が通じる。
 その意味では蛇足な表現。
 まあ一般的な国語的意味合いとしては「その他」以下は「付け足し」という
 ニュアンスはありますが……。
 因みに、「その他の」は「等の」とほぼ同義。
 「その他」は「その他(に)」であって、その後ろにつながる部分の枕詞み
 たいなもの。
 一方、「その他の」は「その他」「の」で、「その他」はその前の部分の接
 尾辞みたいなもの。
 と考えると概ね合っている。)。

この使い分けからすれば、道交法91条の限定と条件は「その他'の'」ではなく
「その他」を使っている以上、別ものです。

# もっとも、私自身過去、遺失物横領罪の「遺失物、漂流物その他占有を離れ
 た他人の物」という記述について、(実質的には)「遺失物、漂流物」は
 「占有を離れた他人の物」の例示だと「強行に」主張したことはあります。
 同じ指摘をする文献は多数あります。
 その意味で「通例」とは言え絶対的なものではありません。
 ただし、この場合、「どちらでも結局同じこと」ではあります。
 どちらで書いても同じだから区別する意味が実用上無いので実際のところど
 ちらでもいいのです。
 でも今回は大違いなのでやはり通例に従った読み方をすべきです。

また、附則がすべて、「限定又は条件」とわざわざ列記していることとの整合
性も考慮しなければなりません。
限定が条件の例示に過ぎないのであれば、「限定又は条件」などという記述を
する意味がありません。

以上により、道交法91条は条文上明らかに「限定」と「条件」とを区別してい
ます。

>むしろ逆でしょう。
>「自動車の種類を限定した場合に当該限定に違反することは
> 原則として64条違反(無免許運転)にはならない」
>という「立法者の認識」が前提にあって、だからこそ
>わざわざ“みなし規定”を設けて
>「原則に対する例外」であると宣言していると解するべきです。
>即ち、この規定は、その後の改正法あるいは附則において、
>特に“みなし規定”が無い限り「64条違反(無免許運転)にはならない」
>とする理解を支持する論拠になると思います。

# しょせん参考だからそれほど拘泥する気は無い。

みなし規定は、注意規定であることもよくあります。
平たく言えば「紛れをなくすため」に置くものですから、本来別の物を強制的
に同じにする場合に使うとは限りません。
実際に別か同じかは、みなし公務員のような明らかに別の場合というのも在り
ますが、はっきりしている必要自体がありません。
即ち、「逆」とは限りません。

# みなし規定の最大のポイントは、「法律で擬制して反証を認めない」という
 ことにあるのであって、みなす対象が実際どういうものであるかはそれほど
 重要ではないのです。
 つまり重要なのは効果。
 例えば失踪宣告における「死亡とみなす」と言うのは、普通は仮に「生きて
 いても」ではありますが、逆に本当に死んでいても構わないのです
 (異時死亡についても、「みなす」以上は、本当にその時に死亡していても
  いなくてもどっちでもいい。)。

その前提で。

免許制度を変更し免許区分を変えることが免許の扱いに混乱を来す高度の蓋然
性が予測できることから注意的に規定したのが立法者の意思であると解すべき
だという主張です。
そして、同じく免許区分の変更である以上、これ以後の同様の改正において扱
いを異にする合理的根拠はありません。
であれば事後の区分変更についても同じ扱いをすべきところ、最初の附則で注
意喚起してあるから敢えて重ねて言う必要が無いから書かなかっただけと解す
るのです。
さもなくば、法政策としては毎回みなし規定を入れるのが筋であると。

そもそも、今まで無免許でなかったものが免許区分の変更で無免許になるとい
うのならともかく、元々無免許のものが免許区分の変更で無免許でなくなると
いうのは、道路交通の安全と円滑を図る運転免許制度の趣旨から言えばどう考
えてもおかしいのです
(ただし、前者は既得権の保護の問題はある。)。
危険だから一定の技能を有していることが公的に確認できない者には免許を与
えないのに、単に法律上の免許区分が変わっただけで技能の確認のできない者
が当然に免許を得るなどというのは、免許制度の趣旨に反します。
そこで敢えて趣旨に反する解釈を採用するだけの合理性はありません。

と、こういうことです
(無論実際には、限定付きも無免許同様乗れないことに変わりは無いのです
 が、無免許運転の危険性故に重く処罰するという趣旨が骨抜きになるのが不
 合理。)。

# 趣旨と条文は法律解釈の基本で単にそれを地で行っただけなのです。


ところで警視庁に問合せた結果、先日の2例はいずれも「条件違反」とのこ
と。
理由を一応聞いてみたけど法律がそうなってるの一点張りで詳細は不明。
91条は条件の規定だと、それだけ。

# どうせろくに条文も読んだことはないのだろう。

なお、警察庁の通達とか判例とかはあるの?って聞いたら「判例とか何とかで
はなくてそうなってる」。
純粋に在るのかどうか尋いてるだけで、無ければ正しくないなんて誰も言って
ないんだけどな……。
平成7年改正前の中型限定自動二輪免許で大型に乗るのは無免許だと大阪府警
が言ったという話があると言っても「それは情報が明らかでない」(まあ確か
にその通りだが。)とかなんとか。

……やれやれ。(--

警察の解釈が間違っていることが裁判で明らかになることだって時々あるで
しょが。
こないだ車庫法違反で起訴された件で、車庫法違反となるには路上に(夜間
8時間以上)放置することの認識が必要として、うっかり忘れた場合に故意を
否定して無罪とした最高裁判決だってある。

無いなら無いでいいのだけど、知らないし調べる気も無いからそう答えてるん
だろうな。
言葉尻を捉えられないように適当にあしらおうという如何にも官僚的な回答の
仕方でした。

……まあしょうがないっちゃあしょうが無いけどね。
法解釈についてははっきり言って素人の窓口警察官だから。
それに向うも一日中訳の解らんおかしな相談を山と受けているんだろうしね。
こちとら食い下がる気も無いし、気持ちも解らんでもないから適当に終らせた
けど。

いずれ少なくとも警視庁は無免許と考えてはいないということは確か。


そして条件違反説からすると件の事件は、
1.違反者の免許が附則のみなし規定の適用になる免許(昭和40年改正以前に
  取得した軽自動車免許)だと思っていた。
2.そこで附則のみなし規定を適用して無免許とした。
3.ところがその免許は昭和40年改正以後に取得した限定免許だった
  (おそらく、昭和40年改正以前に免許を取得したがその後適性審査を受け
   ずにいて且つ失効して再取得した免許なのではないか?)。
4.よって附則のみなし規定は適用できず、条件違反とすべき事例だった。
とこういうことかもしれません。
これなら一応筋は通ります。
ならば、最高裁も最高検も「限定違反は条件違反」と考えているということだ
ろうと思います。

# 私に言わせれば、それは明文に反しているし、免許制度の趣旨としてもどう
 かと思うし、建前として同じ運転技能を認定しているはずの同じ360cc限定
 普通自動者免許なのに昭和40年改正以前に取得したか否かで(更に言えば、
 予測が当っていれば、一度失効したかどうかというだけで)無免許か条件違
 反か変わってしまうというのはまったく合理性が無いというところですけど
 ね。
 既得権の保護ならともかく、逆ですからねぇ。

ということで、私の当座の結論は、「現行法解釈として明文及び趣旨に反して
いると言わざるを得ないが、現実の運用は警察・検察・裁判所いずれも条件違
反説のようである」。

-- 
SUZUKI Wataru
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