# 一応決着が付いている話だろうけど、参考に一言。

At Mon, 15 Mar 2004 21:37:34 +0900,
in the message, <c3481h$rss$1@news.mirai.ad.jp>,
Fuhito Inagawa <fuhito@za.ztv.ne.jp> wrote
>ですが、裁判は通常当該事案を法的に解決する事が
>第一義であって、当該裁判の過程で、裁判官が
>「この結論は判例に反している」などと認識する
>ならば、その裁判官は予断をもって裁判している
>と言ってもいいかもしれない。

判例の先例としての影響力は主に「法律解釈、事実ないし証拠の評価の基準」
に対するものですが、「予断」と言うのは通常、「特に要件事実の存否の判
断」の問題で、判例を考慮することは「予断」とは別問題。

# 実際問題として、「裁判の度に一から規範を定立する」などという非効率的
 なことをやっていられるわけがないので、既出の規範の問題については「裁
 判以前に一定の結論が出ている」のが普通。
 今まで学問上ですら全く想定していなかった問題に遭遇すれば、新たな規範
 定立の作業が必要だけど、それは実際のところそんなにない。

「予断排除」のうるさい刑事訴訟においても、「予断」の対象は、「被告人が
罪となるべき行為を行ったか否かという事実」です。
条文解釈、あてはめなど法律上の結論を出すに必要な事実の評価の基準、証拠
の証明力の評価の基準
(ただしこれは、自由心証との関係で問題にならないとは言えないが、自由心
 証と言えども全く無制限ではなく例えば経験則違反は上訴審での原審破棄の
 理由となる。)、
そして、量刑において類似事件の裁判を考慮すること
(いわゆる「(量刑)相場」。これも広い意味での「あてはめにおける事実の
 評価」の一種と言える。
 民事における過失割合、損害額なども同様に「事実の評価」の一種。)
すら、「予断」とは別問題です。

ちなみに、民事訴訟では「予断排除」ということをあまり言わないのですが、
これは実質において弁論主義の当然の帰結だからでしょう。
弁論主義とは、大雑把に言えば「事実認定について、当事者が主張しない事実
は存在しないものとし、主張する事実については、争いなきものは事実として
必ず認め争いあるものは当事者の出した証拠に基づいて存否を認定する」とい
うこと。
とすれば、「予断」とは、特に主張する事実のうち争いのあるものについて証
拠に基づかず認定することに他ならず、弁論主義違反だと。

-- 
SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp