明治期に'state'を「国家」と訳したところから話がややこしくなってるんですね。

当時の感覚としては、幕藩体制の「お家」のイメージが濃かったからそれをまと
めたものを「国家」(家組織としての国)と訳したわけです。当然、家長には天
皇が意識されていました。だから、「国家」という語彙は「システムとしての
'state'」の意味からの翻訳にもかかわらず、同族国家(民族国家・同胞国家・
家長制度的国家)のイメージを強く持ってしまったわけです。それが日本語の
「国家」のややこしいところ。


太宰 真 wrote:
> "himtkitk" <himtkitk@insat.rnu.tn> wrote in message 
> news:42ec3788$0$25197$44c9b20d@news3.asahi-net.or.jp...
>> 面白いのは海外で逢う韓国人だね、女性はずいぶん変わって
>> 来てるが、男性は結構いまだに国家を背負ってるのが多い、、、
>> 随分かったるいだろうなとしか思えんが、、

これの「国家」は「民族」とほぼ同義ですね。つまり同族国家。



>        国家は国民が必要とするから存在している

これは、国民の生活を成り立たせる「システム」としての'state'の意味。

両者は重なる部分もありますが、成り立ちが全然違います。ゆえに両立し得る。
同族国家の意識がなくたって、生活システムとしての国家の意識は持ちうるわけ
です。

萩原@グリフィス大学