KGK == Keiji KOSAKAさんの<bgg8gc$nj$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「誰が主張してるかは関係ない」という表現の意図する所は
>> ・その論者を好きか嫌いか
>> ・その論者は敵か味方か
>> ・その論者と過去に因縁を持つか
>> といった「自分と相手の関係性」によって議論の方向性を左右されてはならな
>> い。といった主旨であるからでしょ。
>
>そういう情緒的なことに限定して言ってるわけ?
>「主張に対する論評はその主張の内容に対して行なうべし」って原則は、まだ
>理解できてないようですね。

え〜と、^^;
そういう原則があるから「情緒的なことに左右されてはならない」んでしょ。
で、その原則からはKGK氏の言うような「ある論者があっちとこっちで矛盾し
た主張をしていることを指摘してはならない」なんてことを全く導けません
よね。


>記名するのはそれぞれ主張に対する責任の所在を明らかにするためです。
>そして、その責任を追及することと、主張自体への批判は別ものですから、こ
>こで論じてることとは関係ありません。

「あっちでは反対のことを言っている」ってのは「こっちでの主張」への批判
そのものでしょう。



>>> で、「Aという主張はBという主張と矛盾するよ」ってのは、ふつーは、「Aが
>>> 間違ってる」と思っていうんじゃない?
>
>> そりゃ、単に「私がそう思っている」だけの話で議論相手はそうじゃない。
>
>だから、Aを批判する目的で、それと矛盾するBを持ってくるのは分かるんです。
>
>>> そうだよね。
>>> 「自分でポイ捨てをしながら他人のポイ捨てを批判する」のは「自分がポイ捨
>>> てをする」のを改めればいいだけで、「他人のポイ捨てを批判する」のは改め
>>> る必要はないよね?
>
>> そう。
>> 「まだ改めてないのに他人を批判する」から問題なわけです。
>
>「まだ改めてない」のが問題であって「他人を批判する」ことが問題なわけじゃ
>ないですね。

#そうやって無理矢理別けるし…。
#「他人を批判する」ことは問題ない。ではなく、「他人を批判する」ことは
#それだけでは問題かどうか分からない。でしょ。

だから「ある状況下で他人を批判する」ことが問題なわけ。
その「状況」の一つがたとえば「自己棚上げ」だったりするわけさ。


>もう少しちゃんと説明すると、「ポイ捨ては悪いこと」という前提のもとで、
>
>a. 自分でポイ捨てをせずに他人のポイ捨てを批判する
>b. 自分でポイ捨てをしながら他人のポイ捨てを批判する
>c. 自分でポイ捨てをせずに他人のポイ捨てを批判しない
>d. 自分でポイ捨てをして他人のポイ捨てを批判しない
>
>という4種類の行動があったときに、2つ取り出して「どっちがましか」という
>判断をしたときに、
>・cよりaの方がまし

は良いとして、

>・dよりbの方がまし
>という判断が普通じゃないですか?

それ、普通か?
私は「bよりdの方がマシ」だと思うが?

>だとすれば、
>・自分がポイ捨てしてようがいまいが、他人のポイ捨てを批判する方がまし
>という結果になるわけ。

つまり、そこが問題なのね。
「dよりbの方がまし」と決め付けている点が…。
#私ゃ、そこら辺は人それぞれだと思うぞ。

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wacky