On 10月15日, 午前11:03, k...@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp wrote:
> koder...@cool.o_dn.ne.jpさん:
>
> > 制御車は付随車と特に区別する必要が有ったので形式記号が出来たが、
> > 電動車に運転台が付いていても誰も驚かないので伝統的には強いて区
> > 分しないままのところが多いって説明の途中で切られてますが...

ええと、この辺りも微妙で。
京成は長いこと付随車と云う存在が無かったため、特急専任を解かれた1600
を更新した際に1602が初めて付随車となりましたが、こいつの形式は
「クハ1602」だったりします。まあ、これは特殊な例でしょうが。

国鉄を例に取れば、80系が登場するまで中間電動車と云う存在が全く無く、
故に電動車=制御電動車で合ったため、「モハ」でかまわなかった訳です。
80系のあと、モハ70やモハ40800(→モハ30)、モハ30500(→モハ10)など
が登場しても現場の対応だけでどうにかなっていたのでしょう、1953年の
形式称号規程改正ではモハのままで形式の整理だけで終わっていました
が、101系の登場により対応しきれないと判断されたのでしょう、1959年形
式称号規程改正で制御電動車と中間電動車の区別が初めて為されました。

>   説明されるとなるほどと思うのですが、長編成の電車に慣れてる都会
> の人はモとクモが全然違うと思うんですよね。

現代ではそうでしょうね。4連固定以上の編成で制御電動車を造り続けて
いるのは京急関連だけでしょうか。

>          目蒲線の旧3000系3連は...モハありましたっけ?         久野

3000系って...うーん...しかも、モハって...:p
中間電動車、と云う意味であれば、3802が更新の際に中間電動車化あsれ
ました。固定編成化され中間に封入された3450の数輛は前照灯や尾灯を
撤去していましたが、制御機はそのままであったと思います。
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ぢぃ@東急に当時「モハ」はいませんぜ、ダンナ:p