神戸です。

On Wed, 20 Apr 2005 23:27:54 +0900, wacky <wacky@all.at> wrote:
> じゃあ、次は公理を証明してもらおうかなぁ。:-P

公理と「(Wacky's)常識」を同列に語るのですか?

> 神戸隆行さんの<opsphvt6b0e5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>から
>> 神戸です。
>> On Tue, 19 Apr 2005 22:35:15 +0900, wacky <wacky@all.at> wrote:
>>> 神戸隆行さんの<opspf1u7qre5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>から
>>>> On Mon, 18 Apr 2005 22:25:16 +0900, wacky <wacky@all.at> wrote:
>>>>> どの選択肢からも「「極当たり前の常識」の類は当然前提の一つ」を否定する
>>>>> 理由は見つけられません。
>>>> 否定肯定以前に、
>>>> 「極当たり前の常識」と気軽に書かれていますが、
>>>> それはどう客観的に定義できるのですか?
>>>> 客観的に定義できないとすると前提にしたくとも
>>>> できないのではないかと思うのですが?
>>> じゃあさ、たとえばKANDO氏には「何で人を殺してはいけないのか」という
>>> 「極当たり前の常識」に投げかけられた疑問に対して、客観的に定義した上で
>>> 回答することができるんでしょうか?
>>
>> 「他人を殺してはいけない」という社会的な禁止の規則は裏返して言えば、
>> 「他人に殺されない」という権利を社会的に支援するということです。
>>
>> 「『自分が(天寿で死ぬまで)生存したい』という欲求を重視する人が*多い*。」
>> という知識が知られています。
>
> ごくありきたりな反論ですが、そのような主張では「他人に殺されてもよい
> ので誰かを殺したい」という人を納得させることはできません。

ありきたりではなく単なる勘違いです。
論法にも何もなっちゃいません。

まず、権利という観点から考えます。
大体、自分の権利と他人の権利ごっちゃにしてはいけません。
自分の「他人に殺されない」権利を放棄したからといって、
他人に同種の権利の放棄を迫る正当な理由は特にありません。
仮に自分が「他人に殺されても良い」というような権利の放棄が可能であったとしても、
「他人に殺されても良い」かどうかには全く無関係に、
「誰かを殺したい」の部分は他人の権利を侵しています。

社会システムの観点から言えば、
権利とは社会的に正しいと認められた類型に属する要求の実現を社会的に支援することですから、
「他人を殺したい」というような他人の持つ「他人に殺されない」権利を踏みにじる人、
つまり殺人者に対しては
(その殺人者が「他人に殺されても良い」と思っているかどうかには全く無関係)
社会システムが障害として(例えば殺人をしないように説得する教育や警察などの仕組みにより)
その実行を阻害するべく働くことになりましょう。

(天寿で死ぬまで)死にたくない
 →「殺されない」権利(=殺人禁止)確立
 →「殺されない」権利(=殺人禁止)の実現を支援する社会的仕組みの充実
 →殺人減少
 →(天寿で死ぬまで)死なずに済む人が増える
 →自分が(天寿で死ぬまで)死なずに済む見込み増加
 →ウマー(°Д °)

というアイディアを皆が共有できれば
「(天寿で死ぬまで)死にたくない」という素朴な欲求に基づく多数派が
「「殺されない」権利(=殺人禁止)確立」という規則制定の多数派に
結びついてくるわけです。

>> この知識の正しさは
>> 具体的な法律制定に際して集計(選挙&投票など)して実際に確認します。
>
> それで正しいと分かるのは「他人を殺すことを放棄してでも他人から殺され
> たくない」と考える人が*多い*というだけの話であって、「他人を殺しては
> いけない」が正しいと証明されたわけではありません。

法システムは別に宗教ではないので、「他人を殺してはいけない」を
無前提に正しいと証明する必要は別にないのです。

「『自分が(天寿で死ぬまで)生存したい』という欲求を重視する人が*多い*。」
の「多い」の部分が民主的手続きを踏むことで検証された(言い換えると観察によって得られた)知識であり、
その知識に基づけば「他人を殺してはいけない(禁止)」=「他人に殺されない(権利)」の確立が
社会を構成する多数にとって目的にあった(即ち「正しい」)手段となるのです。
前提なく正しいから正しいのではなく、社会的に多数派である欲求を実現するのに
合目的的な決まりだから「社会的に正しい」と呼んでいるのです。

>> #日本の憲法、刑法についてはこの作業は一応終わっています。
> 要するに、これは「法律に書いてあるから正しいんだ」に過ぎないわけです。

違います。選挙、議決、といった手続きを踏んで多数派の欲求を実現すると認められていることが
検証されているから*社会的に正しい*(正しく社会の欲求の傾向を反映し実現ている)のです。

> そもそも、「法律だから」を理由にする人が「決まりを守る」といった「極
> 当たり前の常識」に疑問を差し挟むってのは矛盾しまくりですよ。

wacky氏が規則と社会の仕組みと相互作用についてちゃんと理解していないだけです。

というわけですからwacky氏も「極当たり前の常識」というブラック・ボックスを濫用しないで、
キチンと根拠や仕組みを説明してくださるようにお願いします。

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