じゃあ、次は公理を証明してもらおうかなぁ。:-P

神戸隆行さんの<opsphvt6b0e5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>から
>神戸です。
>
>On Tue, 19 Apr 2005 22:35:15 +0900, wacky <wacky@all.at> wrote:
>> 神戸隆行さんの<opspf1u7qre5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>から
>>> On Mon, 18 Apr 2005 22:25:16 +0900, wacky <wacky@all.at> wrote:
>>>> どの選択肢からも「「極当たり前の常識」の類は当然前提の一つ」を否定する
>>>> 理由は見つけられません。
>>> 否定肯定以前に、
>>> 「極当たり前の常識」と気軽に書かれていますが、
>>> それはどう客観的に定義できるのですか?
>>> 客観的に定義できないとすると前提にしたくとも
>>> できないのではないかと思うのですが?
>> じゃあさ、たとえばKANDO氏には「何で人を殺してはいけないのか」という
>> 「極当たり前の常識」に投げかけられた疑問に対して、客観的に定義した上で
>> 回答することができるんでしょうか?
>
>「他人を殺してはいけない」という社会的な禁止の規則は裏返して言えば、
>「他人に殺されない」という権利を社会的に支援するということです。
>
>「『自分が(天寿で死ぬまで)生存したい』という欲求を重視する人が*多い*。」
>という知識が知られています。

ごくありきたりな反論ですが、そのような主張では「他人に殺されてもよい
ので誰かを殺したい」という人を納得させることはできません。


>この知識の正しさは
>具体的な法律制定に際して集計(選挙&投票など)して実際に確認します。

それで正しいと分かるのは「他人を殺すことを放棄してでも他人から殺され
たくない」と考える人が*多い*というだけの話であって、「他人を殺しては
いけない」が正しいと証明されたわけではありません。


>#日本の憲法、刑法についてはこの作業は一応終わっています。

要するに、これは「法律に書いてあるから正しいんだ」に過ぎないわけです。

そもそも、「法律だから」を理由にする人が「決まりを守る」といった「極
当たり前の常識」に疑問を差し挟むってのは矛盾しまくりですよ。


-- 
wacky