阿部@佐倉です。

In article <20050510213137cal@nn.iij4u.or.jp>,
 cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:

> >それで、岩波、国会図書館、amazon.co.jpによるJ.S.ミルの
> >「自由論」の分類は、妥当性があるのですか、ないのですか。
> 
> そもそもミルの言う「自由」は
> 法学における「自由」ではないと考えています。
> よって法学に入っていないのはそれ自体は妥当でしょう。

「(○○の)自由」が法的に保障されるに当たり、
ミルなどの思想家による思想などからは、なんら
影響を受けていないのかしら?

> そして「制限を受けること」を受け入れるのであれば
> その制限の範囲こそが問題になるのであり
> 制限の範囲の議論をするのに「自由」という言葉を使うのは
> 私は妥当性を欠くと思います。

問題の先取りというか、前提をすっ飛ばした上で
議論を始めろといっているのではないかというか、
佐々木さんの「制限の範囲こそ問題」というのは、
そういうものなのではないですか?

その制限の議論というのは、山口や山田のいうような
表現の自由の原理をいったん受け入れたうえで、受け
入れたからこそ発生するものではないのですか。

> もし役立っているのであれば
> それは法解釈学による変容を受けていて
> 別分野における概念とはやはり別物になっています。

と書いていますが、別物というのは、別分野における
概念とまったく切り離された、歴史からも断ち切られた
ものなのですか。

また、法律学における変容を受けたそれが、一般的に
使われている表現の自由と同じだという保障はあるの
ですか。

そもそも何らかの表現が制限されなければならない
というところが前提なのですか。仮にそうだとしたら、
何らかの表現が制限されなければならないのに対し、
別の何らかの表現が制限されないというのは、なぜ
なのですか?

なぜ公権力による言論・表現に対する規制が行われては
ならないのですか?

golden clossさんの投稿からの引用もしつつですが、
In article <d5pa47$fch$1@news-est.ocn.ad.jp>,
 golden cross <popcorn05@bridge.ocn.ne.jp> wrote:

> を言うのであれば、どの条項の解釈かがまず指摘されていなければならない。だ
> から、もし、そのような指摘なしでの話であれば、法解釈「学」などと必ずしも
> 言う必要は無いわけです。憲法21条と言う風に断っていたにせよ、そこで意図
> しているのは「憲法21条の趣旨で」あるいは「憲法21条が実現しようとする
> のと同価値で」との意図で語られているかもしれないのだから、結論は同じで
> しょう。

ある部分社会において、そこでのルールについて法律学の
専門家が、「なぜ保障されなければならないのか」という
趣旨のほうを意図して憲法持ち出すことは、私はそれほど
おかしなことだと思えないです。

もちろん日本国憲法における表現の自由を論じるに当たって、
そんな使い方をしていたら、佐々木さんのお説教コースが
待っていても仕方ないと思います。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mars.sakura.ne.jp
関心 ・専門分野 :
 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)