In article <g92Hh.66$1e5.2@news3.dion.ne.jp> wacky@all.at writes:
>>もしかして、「その気になれば」という条件が理解できていない?
>要するに、「公開するかしないかは俺様が決める。文句を言うな」なわけさ。
>そして、それが「現状」の非公開MLそのものなわけ。
>それに対して、「それじゃあマズイだろ」って指摘してるのがwackyなんだけ
>ど、理解できないんですかね?
その問題は、非公開MLをやめて同報メールを使うようにしたって
全く解決できませんよね。
それどころか、非公開MLをやめることによって、
解決から遠ざかる要因も指摘されている。
つまり、wacky氏は、「それじゃあマズイだろ」と表面上は言いつつ、
その「マズイ」問題に対する有効な解決策を全く提示できず、
むしろ逆効果にしか成り得ない策を推進しようとしているわけです。
そのあたりの矛盾が、wacky論が破綻している本質だと思うんだけどな。

================================
>>>後で公開するようなモノなら、「公開するまでもないから公開しない」なんて
>>>勝手な判断をせずに即時公開すれば良いと思いますよ。
>>勝手な判断かどうかは、今は全く無関係でしょう。
>>どういう判断基準にせよ、公開するべきと判断すれば公開MLに流すし、
>>そう判断しなければ公開ML以外の手段で流すというだけのこと。
>>判断基準が同じであれば、「公開ML以外の手段」で流す情報の内容や量は、
>>その「公開ML以外の手段」が非公開MLだろうと同報メールだろうと同じことです。
>判断基準を明確化せずにそのような主張をすることは詭弁でしかありませんよ。
詭弁を弄しているのはwacky氏の方だよ。
議論に全く影響を及ぼさない要因(今の場合「判断基準の内容」)を
ことさらに持ち出して来ることによって、議論の本質を見えにくくし、
それによって自説の欠陥を覆い隠そうとする詭弁になっているのさ。

>>つまり、
>>「MLの方が(ホンの僅かでも)手間が軽い」という事実を認めてしまったら、
>>wacky説は根底から瓦解する構造になっていると思うんだが……?
>wackyは一貫して「大した違いは無いし、どちらにしても僅かな手間に過ぎな
>い」と主張していますので何の問題もありません。
全然「一貫」なんかしてないって。
wacky氏が「大した違いは無い」なんて言い出したのは、
自説の矛盾点を指摘され始めてからだし、
この言及自体、当初の自説と矛盾してるんだよ。
上記引用に際して無視した、その直前部分
>>wacky氏の主張は「MLは、わざわざ維持管理することが不自然に映るもの」で、
>>同報メールなら「わざわざ維持管理しても不自然ではない」のでは無かったのか?
>>そして、この場合の“わざわざ”は、
>>文脈上「手間暇かけて」と同等と考える他は無いと思うんだが……?
に対して、どう応えるのかね?

================================
>>>>>メールではtoda氏の言うような「公開するまでもないと(個人的に)判断した
>>>>>モノ」は流れません
>>というwacky氏の主張には、何ら無関係な話ですよね。
>>上の引用の「メールでは……流れません」というのは、
>>文脈上「非公開MLになら流れるが、同報メールには流れない」という主張にしか
>>読み取れないんですが、どういう理路で、そういう
>>「非公開MLと同報メールの差異」が生じると言うのですか?
>そうやって、「現状」と「手段」を混同しまくるからそんな頓珍漢な事を言い
>出すんでしょうよ。
混同してゴチャゴチャにしているのは、wacky氏でしょう。
どれでも良いんだけど、例えば最近の分から見てみましょうか?

In article <ox3Fh.56$1e5.39@news3.dion.ne.jp> wacky@all.at writes:
:やはり、「現状の非公開ML」と「どうしても公開できない情報を流通させる手
:段としての非公開ML」を混同しているのではないでしょうか?
:両者は同じ「非公開ML」と呼ばれても、性格も内容も全く異なります。

こういう、議論の対象を混乱させるような区別
(具体的には直交している属性を不合理に組合わせた対象選択)
を持込んで、本質から目を背けるのがwacky氏のやり方のようですね。

「どうしても公開できない情報を流通させる手段としての非公開ML」
というのは長いから「wacky流限定非公開ML」とでも略しましょうか。

「非公開ML」と「同報メール」の得失を論じようと思ったら、
本来は「現状の」とか「wacky流限定」とかいう直交した属性を
排除して論じるのが理想的です。
ただ、属性が実際には完璧に直交していない
(「現状の」とか「wacky流限定」とかいう属性が
 「非公開ML」と「同報メール」の得失に影響を与える要因がある)
などの理由で、必ずしもそうも行きません。
ただ、その場合でも比較するべきは
「現状の非公開ML」と「現状非公開MLの内容を流通させる同報メール」
であるか、あるいは、
「wacky流限定非公開ML」と「wacky流限定同報メール」
でなければならない。
比較対象を斜めにとって
「現状の非公開ML」と「wacky流限定同報メール」
の比較にしてしまったら、何の比較を論じているのか解らなくなる。
このあたりに、wacky論の混乱の本質があるのかも。

================================
>>>>非公開とするべき(=「してはならない」と「するまでもない」の両方)情報の
>>>>流通について論じているというのは、「共通の前提」として良いのかな?
>>>「非公開とするまでもない」がどういう経緯で「非公開とするべき」に化ける
>>>のか、明確な説明を求めます。
>>全然「化け」てなんかいないよ。
>>とりあえず「べし」の意味を手近な古語辞典で索いてみたら?
>>参考になると思うけど。(呆れるくらい語義が多様だし)
>ワザワザ曖昧になるやり方を選ばずとも、普通の国語辞典を「べき」で引けば
>それほど多様ではない選択肢から正しい意味が汲み取れるものと思いますよ。
古語を持ち出したのは、印象的で解りやすいと思ったからさ。
現代語でも話の本質は同じ。
それどころか、英語の「may/must」の話に持って行っても同じことだよ。

わりと本質に近いのはwacky氏が無視した、上記引用の続きだよ。
>>そもそも「してはならない」と「するまでもない」の間は程度問題であって
>>明確な境界線が引けるものでは無いわけなんだし、
「程度問題」というのは、
この場合には、「判断基準」の設定の加減と言い換えても良いかも。
要するに判断基準を具体的にどこに設定するかに全く関係なく
(とにかく、どこかに設定されてさえいれば)成立する議論だから、
共通に(=一般論的に)論じただけのこと。

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp