wacky wrote:
> そのようなバリエーションがあっても「根本はそれほど変わらない」のです。

# なんかここだけ抜くと、カルト宗教の説法みたいですね(^^;

  だとすれば、高々fj委員を選ぶ選挙をめぐって、こうも論戦が
続くとは思えません。「根元はそれほど変わらない」ことを客観
的かつ論理的に論証してください。

> wackyが述べているのは「NGMPの記述は(特記無い限り)社会常識に基づいてい
> る」ということです。従って「NGMPの解釈も(特記無い限り)社会常識に基づい
> て行われなければならない」わけです。

  大雑把な話としては、それはそれで良いとして。

> つまり、「参加者には投票義務があると解釈*できる*」としてもその解釈は誤
> りです。その解釈は社会常識に反するからね。

  選挙権については昔から「民主主義的思想に基づけば、投票は
単なる権利ではなく、むしろ義務である」「投票しなかった人に
は施政を批判する資格がない」といった主張をする人が少なく
ありません。現在でもgoogleなどで検索すると、そうした主張が
散見されます。
  そういう観点をまったく無視して「その解釈は誤り」とか「社
会常識に反する」などと断言できるのは何故でしょうか?
  wacky氏がそのように断言する根拠の提示をお願いします。

  ついで。

--- wacky wrote in Message-ID: <KtWch.95$852.16@news3.dion.ne.jp>
一アドレスに付き一票じゃないの?
--- End

  一般社会の選挙では、通常「一人一票」が当然ですが、これは
wacky氏の「一アドレス一票」という発言と大きく異なっています。
  wacky氏は「NGMPの解釈も(特記無い限り)社会常識に基づいて
行われなければならない」と主張していますが、もう一方の主張
である「一アドレス一票」がその主張に従っているとお考えでし
ょうか? もしお考えなら、論理的かつ客観的に説明してください。

  以上よろしくお願いします。

-- 
MARUYAMA Masayuki@DTI