古寺です。

SHIMADA_makoto さんwrote:

>> In article <e57265$1r9$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp> kodera_m@cool.odn.ne.jp writes:
> 
>>> 唐橋前から「○区」の○にスタンプを入れた券を買い、
> 
>     重箱の隅突きですが、「○→n区」という表記だった
>    と思います。ついでながら当時は地上線だった四条駅

あり...?

#小学校4年の春でした...って、考えてみれば自分の長男がその歳
#だわ。
##幼稚園の時分にパノラマカーとか乗せてやったの完全に忘れて
##るし、あと1年以内に回生ブレーキの概念とか、回生車の母線
##引き通しの必要性とか考える様にはとてもなりそうにないな...
###化石や地層好きかと思えば、MACにアカウント作ってやって
###おいたら、勝手に壁紙変えたり好きなアニメやゲームのフ
###ラッシュのページをブックマークしたりしていて。イマイチ
###指向性が読めない。

で、5年程度までの記事の記憶もアレなくらいなので開き直ってます
が(^^;、唐橋前の場合、石山坂本線にまだ名残の有るホーム入り口
のところの1人入ったら一杯みたいな窓口の中で券を売ってまして。
どこまでと言ったら、回数券みたいな束になってる券に、その分を
スタンプして、ピリリと千切って出て来たような記憶が有るんで。
てっきり区の方を捺していると覚え込んでいたんですけど。

#「だったはず」で記憶が再構築されてる?

ホーム売りも区の方が印刷で駅名がスタンプだと、手の開いた時に
駅名側を捺しておいて、すぐ千切って売るって感じだったですかね?

>    では上り下りのホームが別で改札口も別だったので、
>    不正乗車防止のためか、それぞれの改札口で押す
>    スタンプのインクの色を変えていました。

踏切挟んで千鳥相対式ってあたりが、なんか軌道じみていましたよ
ね。そこまでやってるのは気づきませんでした。1972年の時はこの
辺で市電が平面クロスしていたり。1977年春に中学の卒業旅行で
来た時も、四条のレイアウトだけはそのままでした。自動券売機+
自動改札化していたかもしれません。

>>> 「四条まで乗っても値段が同じ(区)だから」
> 
>     山科や大津から京都市の中心地である四条への
>    アクセスを考慮した運賃体系だったのですが、地下鉄・
>    東西線開通で分断された時、こういうことはきれい
>    さっぱり吹っ飛んでしまいました。

思えば、出町柳境界での短距離割引とか、「初乗り二重取り負担」へ
の批判以後、各所で見かけるケースですが、これが既得権も何も無く
三条京阪では吹っ飛んでるのは不思議な感じです。
鴨東線が元々京福の免許区間だったにしろ、京阪として新規開業して
ますし、こっちで四条〜修学院が割引になるのはサービスが良いよう
に思いますけど、交渉次第(尚かつ、叡電が京阪傘下に入った関係?)
で、役所相手はままならずって事なんでしょうか?
地下鉄の山科が深いので、割高承知で京阪山科から三条方面を利用す
る客が未だ少なからず居る件といい、なんか硬直過ぎて何かを置き去
りにしてるような感じがします。

関東だと、旧運輸省指導で初乗り割引が掛かる様になったのは、相互
直通か、乗換え改札か同一ラチ内での乗換駅(連絡運輸有り)だったと
思います。ただ山手線に接する「私鉄ターミナル」とJR間では無しだっ
たかな?(東京駅を挟む特急券に通算や割引が無いような考え?)。
JRの山科と京阪山科のように単に徒歩連絡の範疇に入ると、関東でも
割引は無かったと思います(該当しそうなのは船橋など、京成と総武線
の平行区間か)。

にしても、出町柳は連絡運輸+一部割引有りなのに、京津線の3種免許
による直通も検討された三条京阪が何にも無しというのは釈然としない
ですね。