古寺です。
詳細に有り難うございます。

toda@lbm.go.jp さんwrote:
> In article <e54k0n$j0o$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp> kodera_m@cool.odn.ne.jp writes:
>> 最近、上町線帝塚山3丁目〜高野線帝塚山乗換えをした際(神ノ木と
>> 住吉東が乗換駅ということになってるが、これがまた納得行かない距
>> 離^^;)
> この「乗換」は、今ではほぼ無意味ですが、
> 元々は、ここでの乗換を前提とした通しの乗車券があったんです。

なるほど。南海軌道線として、南海の鉄道線とネットワーク、且つ
培養線の役割を果たしていたのでしょうね。通しなら、南海の鉄道
線に対し、やや離れた場所からアクセスするに際して、他の手段に
対して選択を優先しようという方向に作用しそうに思います。

> 軌道線が別会社に分離されたのは平野線廃止の時なので
> 1980年末のことになりますが、
> その数年前に運賃体系が分離されるまでは、
> 鉄道線と軌道線とが一体の運賃体系でした。

現在のようなワンマンだと乗換え券を出すのがせいぜいに思えます
し、当時は車掌さんが「xxから○区」のような券を切っていたので
しょうか...?
ちょっと似たようなケースに逸れ。
かつて、滋賀の会社の経営再建に銀行から派遣されていた祖父のも
とを訪ねた際、京阪の大津線と鉄道線が通し運賃だった様に覚えて
います。唐橋前から「○区」の○にスタンプを入れた券を買い、
三条では大津線(石山寺から直通)準急と平面乗換えで特急が接続を
取っていました。祖母曰く、「四条まで乗っても値段が同じ(区)だ
から」というのをはっきり覚えており、四条通りから京都観光を
スタートしました。
この時点ではここも通しだったんですよね。当時の区間制は(今は
関西大手も対キロ区間制ですよね?)、通しにしても軌道線区間の方
を距離比高めにしておくとかも出来たんじゃないかと、今更ながら
思いますが。

学生〜社会人始めの頃に京都のこの筋の知人を訪ねた頃は、なぜか
三条で乗り継ぐパターンがなく、どうだったか分からず。地上から
本線が無くなってからの再訪では、あっさり三条で打ち切られてい
たので「ありゃりゃ」という感じでした。そういえば関東時代の
末期から購読始めたfjで何度か三条で別運賃の話は目にしており、
あれそうだっけ?と思っていた物です。

> 運賃体系分離以降は、省力化の意味もあって、
> 運行系統と密接に連携した運賃区間になっていますが、
> 元々は、天王寺駅前〜阿倍野〜今池〜恵美須町で1区なんて設定もあり、

'70年代までの事だとするとやはり、車掌さん乗務だったのでしょ
うかね。

> 他には浜寺公園〜浜寺駅前も乗換駅でしたし、
> 住吉公園駅は軌道線と鉄道線で一体の1つの駅でした。

ここは構造上も、今でも一体感が有りますよね。
難波など寄ったついでに、短時間だけ阪堺に立ち寄れるという時
は、よくここから空いてる始発電車で天王寺に向かっていました。
堺市内廃止話が出てから、なるべく堺市内を絡めた2区運賃を乗る
ようにしてますが(堺市内との行き来が明確にログされるように、
なるべく我孫子道か住吉で乗換え券を取って^^;)。

#時間帯にも依るが恵美須町〜住吉と、ほぼ確実に住吉〜住吉公園
#の方が、堺市内より空いているような(^^; 大阪市内は経営状態
#が良いというのは、上町線が倍の本数でも混んでる関係でしょう
#けど、上町線内時隔確保のためには住吉公園は良い折り返しス
#ペースなんでしょうね。
##やはり短時間の無理矢理な立ち寄りで、天王寺〜住吉〜恵美須
##町のV字ルートも結構やりました。さすがに住吉で2区払って
##乗換え券とんぼ返りではセコいというか、つまらなすぎという
##かで。鳥居前←→住吉公園の商店街を買い物や食事がてら歩い
##て、別途乗車して戻ってました。

> 今は亡き天王寺線絡みもあったと思いますが、使ったことがありません。
> 素直に至近距離にある駅で乗換できたと思いますが。
> (今池町〜今池、天王寺〜天王寺駅前)

平野線が時刻表地図に載っていた子供の頃(普通の地図帳もよく見
た)、この界隈の南海路線網は筑豊、西鉄市内線も含めた北九州な
みに複雑だなと思っていた物です。上記京阪大津(石山坂本と京津)
線のように現地へ行けた希な例を除くと、いつか行ってやろと思っ
ていた頃ですが。1978年あたりには大体、どれが軌道線か把握出来
て来ました。
その上で「難波も天王寺も同じくらい、南海線郊外からの需要が
有るんだろうな」と、天王寺線の運行実態(?)を知るまでは思って
いたものです。

> #阪堺線と高野線の乗換駅ってあったっけ?

#夕べの記事の一つがあまりに冗長(これも含めて毎度の_o_)になっ
#たので、(あれでも)削ったんですが...

実は件の岸ノ里の旧ホーム?らしき使用停止の柵の向こうの端っこ
あたりで阪堺線が下を潜ってますよね。その阪堺線側にもホーム跡
らしきが有って、ポイントなんかも残っています。十数年前の、関
西着任後の初乗車の頃に目に留まって、高野線のホームがこちらの
方まで使ってた頃には結節してたのか?と。ちょっと調べたりもし
たのですが、ピクトリアルの軌道線特集でたまたま記述が無かった
り、当時ネット上のコンテンツもさほどないし、すぐ先で路面上に
出た途端に電停が有る(東玉出)しで、気のせいかなとも思ってまし
た。
その後知った所で、宮ノ下という電停が'70年代くらいまで有った
ようです。その時点での岸ノ里との関係が気になりますが、昨日
この話題が出たついでに調べ直しても不明でした。

#高野線ホーム跡の板壁部分、宮ノ下へ向かって降りる口でも有っ
#たんじゃないか(塞がれた)と邪推したくなる(^^;