! "<435aeb4c$0$971$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 23 Oct 2005 10:45:50 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<djd3jr$idj$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<dhllda$160$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> ! "<4335f8f2$0$970$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>>>> !     Sun, 25 Sep 2005 10:10:11 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>>>> 
>>>>> んじゃ、そのまんま、「wackyがabuserであると誤解を生じかねない表現は一
>>>>> 切止めてください。過去の発言に関しては謝罪してください」ですけど?
>>>> 
>>>> 誤解じゃないでしょ?
>> 
>>> ホラホラ。^^;
>>> それって、単なる「俺様正しい」じゃん。
>> 
>> どれだけ根拠を示しても、wacky氏にとって都合が悪ければ、単なる「俺様正
>> しい」であることにしたいんでしょうね。きっと。

> 幸せなヒトですね。

取りあえず、金がないことを除けば、基本的に幸せです。

> #だから、それは【とやあえおん論法】だと…

wacky氏が個人的に決め付けてるわけですね。

>> wacky氏は、何故、「強姦」というトピックを選択したんでしょうか?
>> それが、衝撃的かつマイナスキメージを持つ言葉だからじゃないですか?

> 【abuse】同様にね。

wacky氏にとって、abuseってのは強姦に匹敵するほど衝撃的なんですか。
そりゃ、闇雲に反発するはずだ。

>>> その行為の善悪を【サテオイタ】上でなおかつ「強姦」の何がどのように
>>> 「衝撃的」なのでしょう?
>> 
>> ちゃんと「サテオイタ」人にとっては、衝撃的ではないでしょうね。
>> 誤解せずに理解した人は誤解してないんだから当然の話です。

> しかし、KGK氏はそれに「衝撃を感じた」わけです。

いいえ。普通の読者にとって衝撃的であろうと推測したわけです。

>> wacky氏は、それをサテオキにくい状況を作り出すために「強姦」というトピッ
>> クを選択したんじゃないんですか?

> いいえ。^^;
> それは「実はサテオイテなんかいない」という事実を暴き出す為に選択されま
> した。

誰が?
どうも、wacky氏は、動作の主体をごっちゃにする傾向があるようですね。

私がサテオイテいても普通の読者がサテオキにくいようであれば、誤解を生み
やすい表現なわけです。
それを指摘したわけですが、wacky氏は、私がサテオイテないことにしたいら
しい。

wacky氏の世界には、「自分」と「自分以外」の区別しかないのかなあ?

>> それを「誤解を生みやすい」と言ってるわけ。

> 繰り返します。
> 「行為の善悪をサテオク」という前提に立てば誤解しようがありません。

はい。私は誤解していません。

> そのような誤解を気にするのは「実はサテオイテいない」ヒトでしょう。

一般の読者は誤解しやすいと推測するのは、自分がサテオイテいるかどうかと
関係ありません。

>>> 「行為の本質的な評価」をしたいのならワザワザ善悪を【サテオク】必要など
>>> ないでしょう。というか、その善悪こそが最終的な評価となるわけでしょ。
>> 
>> だから、それを議論するスレッドではサテオカナイで議論してるわけ。
>> で、こっちはサテオクのが適切なスレッドだからサテオイてると。

> そして、後で都合よくドッキングさせようと…

ドッキングのさせ方が適切でなかったら、それを指摘すればいいだけの話です
ね。

> そもそも、「行為の善悪をサテオク」ことが適切な理由とは?
> 「適切だ」「適切だ」と喚くばかりでその中身がまるで不明なんですけど?

問題解決の方法論なんてことを考えたことがないんでしょうね。

問題の解決がむつかしいときは、問題解決を分割するのが妥当だってのは理解
できる?
その分割の仕方を決定することを、私はしばしば「戦略」と表現し、分割され
た個々の問題解決を実現することを、私はしばしば「戦術」と表現しているわ
け。

で、戦略を考察するときは、個々の戦術の詳細はサテオクし、戦術を考察する
ときは、戦略の細部や別の戦術の詳細をサテオクのがあたりまえ。
# サテオカないで解決できるぐらいなら、分割しないで解決できる。
最終的に、サテオイタ部分をすり合わせることによって、問題全体が解決され
るわけ。

これを、今回の件に当て嵌めるときに、

・善悪というのは個人の価値観に依存し、見解の一致はむつかしいことが多い。
・規則違反というのは善悪に対して客観性が高く、見解の一致は比較的容易で
  ある。

という事情を踏まえると、「善悪の問題と規則違反の問題は別のステージにし
といた方がよさげ」とか「規則違反の方が簡単だから、まずこっちを片づけと
くか」とかいった判断は、普通に出てくるものですね。
「規則の設定による善悪の境目の移動」なんて現象を考えると、余計にそうで
す。

# 岡本さんは「abuse」と表現してるけど、事実上は「規則違反」を問題にし
# てるようだから、この説明でいいはず。

さらに、そういう順番でやっとくと、善悪の判断の原則に「規則違反かどうか」
という材料が使えて便利です。
その原則に対する例外を考察する場合も、「何が規則違反で何がそうでないか」
という情報は必須ですし。

もちろん、善悪をサテオイクことは、規則違反かどうかの議論には有効ですが、
そこから社会的意義を持つ結論を引出す段階では善悪を含めた議論が必要にな
るでしょう。
それは、別の段階のお話なわけです。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK