どっかに振った方がいいのかなあ。

「真理はひとつ。正義はひとつ。」というのを見て、「まりちゃんとまさよし
君は双子のあかちゃん」と解釈するのは田中芳樹の世界か。

! "<4199eb11$0$971$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Tue, 16 Nov 2004 20:57:49 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> OOTANI TAKASHIさんの<uvfc7178v.fsf@anet.ne.jp>から

>> また質問を無視されてしまいましたが、「真実は一つ」という主義ですか?

> #別に喧嘩をするつもりもないので紳士的に無視していたつもりでしたが…

喧嘩にならないように答えりゃいいのに。

> そのような質問への回答は「真実」の捉え方次第で幾らでも変わるでしょう。
> 従って、如何なる回答に対しても「お前は間違っている」と反論することが可
> 能であり、その結果は容易にフレーム戦争を導くでしょう。

それは、「真実は一つ」と考える人の一部にそういう特徴を持ってる人がいるっ
てだけのことですね。
「真実は一つ」と考えてない人は、「どっちも正しい」と考えることが可能で
すから、自分の真実と違うというだけで反論したりはしない。

まあ、反論じゃなくて解説を求めることはある。
どういう出発点からどういう経路で辿りついたのかが理解できれば、その主張
が理解できるから。
それで、自分の主張と違う原因が分かれば議論は終わる。

> というわけで「真実は茶筒のようなもの。茶筒は一つでも見る者によって丸
> かったり四角かったりする」を模範解答としておきます。

これなんかは「真実は一つ」の変形なんだろうなあ。
同じ角度から見れば同じように見えることを期待してんでしょ?

まあ、私も昔はそんなことを考えてた気がする。
高校のころとか。大学に入ってからもかな。

でも、今は、物理学でさえ真実を追及していないってことが分かったし、現象
に対する説明原理が並立できるってことも納得したんで、真実なんてものは相
手にしないようになった。

同時に、「相反する主張はどちらかが間違ってるに違いない」って考えも捨て
た。

そもそも、ポリシーに関する議論なんてのは、真実かどうかとか合理的かどう
かなんてのは一次的な意味を持たないし。
まず第一に、それがコミュニティにどんな影響を与えるかでしょ?
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
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