! "<40816079$0$19848$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 18 Apr 2004 01:51:01 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c5lk0u$9vh$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 同様の主観を持つ人が社会的規模でいれば、押し付ける理由になります。
>> 
>>> それをキチンと客観的に示していればその通りですね。
>> 
>> 数あるアンケートとかね。

> そのアンケート結果の解釈が客観的でなければやはり意味はありませんよ。
> たとえば、喫煙率を約30%、「煙草に迷惑を感じる」というアンケートにYESと
> 回答した割合を約80%とし、両者の結果を正しいものと仮定した場合、そのア
> ンケートが嫌煙者の意見を代表したものではなく、その設問が「(常習的に)煙
> 草に迷惑を感じる」と理解されなかったであろうことは明白でしょう。

「喫煙者ならば常習的に煙草に迷惑を感じるわけがない」と決めつけてるわけ
ですね。

しかし、喫煙者自身が自分の出した副流煙を避けてるのが普通だという報告に
基いて考えれば、喫煙者が他人の出した副流煙を常習的に迷惑を感じるのが普
通でも不思議はないと思いますが。
さらに、喫煙者が好むのは、自分が吸ってる主流煙であって、例えば、他人の
吐き出した主流煙を迷惑に感じる喫煙者がいてもおかしくないでしょうね。

というわけで、ちっとも「明白」じゃないですね。

>>> 主観レベルの主張は社会では通用しないのです。
>> 
>> それが、それなりの規模で共感を呼べば、充分に通用します。

> 喫煙者が30%なら非喫煙者は70%です。単純な引き算ですね。では嫌煙者は何%
> を占め、どの程度の規模の共感を呼んでいるのでしょうか?

嫌煙者ってのをどういう定義で言ってるのか知りませんが、他人の煙草の煙を
迷惑に思う人は70〜80%ぐらいじゃないですか?
それに反するデータは見たことがない。

> 「非喫煙者の主観レベルの主張がそれなりの規模で共感を呼んでいるから受け
> 入れられるべきだ」って意見にはある程度(他の面で問題なければ)賛同できま
> す。

喫煙迷惑を考えるときに、非喫煙者に限定する必然性はないでしょうね。

> =====

>>> 「俺様が個人的に迷惑を感じたからには配慮されて当然だ」といった
>>> 考え方は明らかな誤りといえるわけです。
>> 
>> また、「俺様が個人的に」という妄想的な拡大解釈をしてますね。

> KGK氏は明確に

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c0l2b4$aah$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
> $迷惑に関してその手の基準を決める判断のもとは、個々の人の個人的主観に頼
> $らざるを得ません。
> $# 迷惑自体が個人的主観なんだから。

> と述べていますので、その「妄想的な拡大解釈」なるものはKGK氏自身の主張
> そのものですよ。

全然違うものですね。
「俺様が個人的に迷惑を感じたからには配慮されて当然だ」という表現は、普
通、ただ一人の人間が迷惑に感じただけで配慮されて当然だということを表わ
しています。
それは、私の主張からは決っして導けないことです。

> =====

>>>> 例えば、他人に届く煙の一酸化炭素濃度やニコチン濃度や粉塵濃度が基準値を
>>>> 下回るかどうかということ。
>> 
>> というものです。

> であれば、当然「嫌煙者個人が主観的に影響を受けたと感じたとしても、その
> 結果が社会的な判断基準を満たさなければ迷惑が生じたとみなされない」はず
> ですが、KGK氏はこれを否定していますよね。

どこで?
「迷惑が生じたとみなされない」が「社会的な迷惑が生じたとみなされない」
の意味だとしたら、私は一度も否定してませんよ。
wacky氏の誤解では?

>>> 勿論、それが可能であればそれで構わない(っていうかそっちの方が基準とし
>>> て優れている)わけですが、でもさ、それにしたって結局は「それにさえ合致
>>> すれば、結果がどうであれ、社会的なレベルの迷惑が起こったとは見倣さな
>>> い」ことに変わりはありませんよ。
>> 
>> それは、結果を見て判断してるんだから、それでいいんです。

> #じゃあ、それを駄目だと言っていた時は何を見て判断してたんだ?

「行動規範」ってのは行動に対する判断であって、結果に対する判断じゃない
でしょ?

>> しかし、経験則は所詮経験則に過ぎません。予測が外れる場合もあります。
>> 「たとえ予測が外れて基準値以上の濃度になったとしても、迷惑が起こってな
>> いと見倣す」というのは、間違いでしょ?
>> 経験則ってのは、そういうリスクを含んだものです。

> そりゃ当たり前です。

というわけで、その経験則のことを「行動規範」と呼ぶ限りは、「行動規範に
従いさえすれば社会レベルの迷惑は起こってないものと見倣す」というのは正
しくないわけです。

「行動規範に従いさえすれば社会レベルの迷惑は起こってないものと見倣す」っ
てのを主張したいんだったら、「行動規範」の意味を拡張しなけりゃいけない
んですが、自然な拡張ができます?

>> 今の論点は、「行動規範に従いさえすれば、予測が外れて基準値以上の濃度に
>> なっても、社会レベルの迷惑は起こってないものと見倣す」というのが正しい
>> かどうかです。

> それはKGK氏の思い込みに過ぎないでしょう。
> 「社会的基準として煙の濃度が採用された」と仮定するのであれば、「予測が
> 外れて基準値以上の濃度になった」時点で明らかに*社会的レベルの迷惑が生
> じたとみなされる*でしょう。当たり前です。でなきゃ何の為の社会的基準な
> んだ?

というわけで、「行動規範に従いさえすれば社会レベルの迷惑は起こってない
ものと見倣す」ってのは正しくないわけですね。

> しかし、現実問題として「個人レベルでの濃度測定装置の携行の義務化」なん
> てことは不可能または理不尽ですので、

何の関係もない話ですね。

> =====

>>>> では、行動規範をもっと増やせばいいのでしょうか?
>> 
>>> 禁煙の場所を増やせば良いだけじゃん。
>> 
>> では、どの程度増やしましょう?

> 必要なだけ。

禁煙の場所さえ増やせば解決すると思ってるんですか?

>> 例えば、他人に基準値以上の煙が届く確率でも目安にしますか?
>> それが10%以上だったら一律禁煙とか?
>> それじゃあ、ゆるすぎるから5%あたり? 1%にする? 100分の1%ぐらい?

> それは運用の問題ですから今決定する理由も必要もないでしょう。そもそも社
> 会的基準がハッキリしていない段階で決められるわけがないでしょう。

今決めるかどうかの問題ではなく、禁煙場所を増やすだけでは問題の解決にな
らないんです。
他の状況を何も考えず、場所だけで決めるのなら、全然役に立たない程ゆるい
規制になるか、必要以上に厳しくなるかのどちらかです。
そんなのは、少し思考実験すれば分かることです。

> <余談>

>>> 行動規範ってのは社会的基準そのものだと思いますが?
>> 
>> だったら、何故名前を変えるんでしょう?

> 「PならばQである」からといって「QならばPである」とは限らないからですね。
> #社会的基準は行動規範だけじゃないってこと。当たり前ですが……。

ああ、この場合の「社会的基準」ってのは「結果に対する社会的基準」のこと
じゃなかったんですね。
でも、「結果に対する社会的基準」について話してるときに、そうじゃない社
会的基準を持ち出してどうするんです?

>> wacky氏は、「結果に対する社会的判断基準」と「普通に言う行動規範」を足
>> したものを「行動規範」と呼んでるようですが、そんな性質の違うものをまと
>> めてしまうメリットは何かあるんでしょうか?

> それは「QならばPである」を無根拠に肯定してしまったが為の誤解でしょう。

この辺は、昔々の、

<beol2k$rkv$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: 「社会的行動規範」とやらに合致しさえすれば、絶対に失敗せずに「多くの人
: が迷惑だと認識する」レベルよりも下になるの?

に対する、

<3f111574$0$260$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| Date: Sun, 13 Jul 2003 17:18:06 +0900
| 失敗したら「社会的行動規範」に合致するわけないでしょう。

という返答を元にしてます。

で、誤解なら誤解でいいんですが、wacky氏のいうところの「社会的行動規範」
というのはどういうものなんですか?
例えば、定義を書くとどうなる?

# wacky氏はいつも質問に否定的に答えるだけで、自分の主張の解説を滅多に
# してくれないから、殆ど分からない。

> で、提示された資料から言えることは、迷惑さと煙の濃さは殆ど関係ない、つ
> まり「6畳間で一本だろうと2本だろうとあまり変わらない」ってことなので
> は?要するに*ここで言っている*迷惑ってのは原因とされるものとの物理的関
> 連性が希薄な「心因性」のものであって、環境基準とはあまり関係ない。って
> ことでしょう。

物理的関係性をトリガーにした心因性のものでしょうね。
で、環境基準と直接の関係はないにしても、濃度で基準を作れば比較はできる
わけです。
それは、既に述べた理由によって、環境基準を大きく超えるものにはならない
でしょうね。

> </余談>

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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK