KGK == Keiji KOSAKAさんの<c5lk0u$9vh$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 同様の主観を持つ人が社会的規模でいれば、押し付ける理由になります。
>
>> それをキチンと客観的に示していればその通りですね。
>
>数あるアンケートとかね。

そのアンケート結果の解釈が客観的でなければやはり意味はありませんよ。
たとえば、喫煙率を約30%、「煙草に迷惑を感じる」というアンケートにYESと
回答した割合を約80%とし、両者の結果を正しいものと仮定した場合、そのア
ンケートが嫌煙者の意見を代表したものではなく、その設問が「(常習的に)煙
草に迷惑を感じる」と理解されなかったであろうことは明白でしょう。
そこら辺を摩り替えたり混同した意見は既に客観性を失っています。

>> 主観レベルの主張は社会では通用しないのです。
>
>それが、それなりの規模で共感を呼べば、充分に通用します。

喫煙者が30%なら非喫煙者は70%です。単純な引き算ですね。では嫌煙者は何%
を占め、どの程度の規模の共感を呼んでいるのでしょうか?
「非喫煙者の主観レベルの主張がそれなりの規模で共感を呼んでいるから受け
入れられるべきだ」って意見にはある程度(他の面で問題なければ)賛同できま
す。しかし、非喫煙者規模の共感を嫌煙者のものであるかのごとく摩り替える
のはオカシナ話です。

=====

>> 「俺様が個人的に迷惑を感じたからには配慮されて当然だ」といった
>> 考え方は明らかな誤りといえるわけです。
>
>また、「俺様が個人的に」という妄想的な拡大解釈をしてますね。

KGK氏は明確に

KGK == Keiji KOSAKAさんの<c0l2b4$aah$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
$迷惑に関してその手の基準を決める判断のもとは、個々の人の個人的主観に頼
$らざるを得ません。
$# 迷惑自体が個人的主観なんだから。

と述べていますので、その「妄想的な拡大解釈」なるものはKGK氏自身の主張
そのものですよ。

=====

>> それって何の基準ですか?
>
>もちろん、結果に対する社会的な判断基準のことです。

>> ここでいう「影響」ってのは「迷惑を感じた本人の主観」に過ぎないのではあ
>> りませんか?

>>> 例えば、他人に届く煙の一酸化炭素濃度やニコチン濃度や粉塵濃度が基準値を
>>> 下回るかどうかということ。
>
>というものです。

であれば、当然「嫌煙者個人が主観的に影響を受けたと感じたとしても、その
結果が社会的な判断基準を満たさなければ迷惑が生じたとみなされない」はず
ですが、KGK氏はこれを否定していますよね。これは明らかな矛盾です。


>> 勿論、それが可能であればそれで構わない(っていうかそっちの方が基準とし
>> て優れている)わけですが、でもさ、それにしたって結局は「それにさえ合致
>> すれば、結果がどうであれ、社会的なレベルの迷惑が起こったとは見倣さな
>> い」ことに変わりはありませんよ。
>
>それは、結果を見て判断してるんだから、それでいいんです。

#じゃあ、それを駄目だと言っていた時は何を見て判断してたんだ?


>> 元々、そういったこと(個人によるリアルタイムでの濃度計測)が現実的でない
>> からこそ、経験則に基づいた行動規範を云々ってな話になっていたのではあり
>> ませんか?違います?
>
>その通り。
>しかし、経験則は所詮経験則に過ぎません。予測が外れる場合もあります。
>「たとえ予測が外れて基準値以上の濃度になったとしても、迷惑が起こってな
>いと見倣す」というのは、間違いでしょ?
>経験則ってのは、そういうリスクを含んだものです。

そりゃ当たり前です。それは「実際に生じた結果に対して責任を持て」と言っ
ているだけですから。それは決して「ある結果が生じないように責任を持て」
とか「ある結果が生じる*可能性がある*からその行為は駄目」とかの根拠には
為り得ません。
そして、その基準が粉塵量や臭気の強さではなく「ここは禁煙ではありませ
ん」といったものであった場合、「たとえ予測が外れて個人的主観的な迷惑を
生じたとしても基準からは外れていない」わけです。

>今の論点は、「行動規範に従いさえすれば、予測が外れて基準値以上の濃度に
>なっても、社会レベルの迷惑は起こってないものと見倣す」というのが正しい
>かどうかです。

それはKGK氏の思い込みに過ぎないでしょう。
「社会的基準として煙の濃度が採用された」と仮定するのであれば、「予測が
外れて基準値以上の濃度になった」時点で明らかに*社会的レベルの迷惑が生
じたとみなされる*でしょう。当たり前です。でなきゃ何の為の社会的基準な
んだ?
しかし、現実問題として「個人レベルでの濃度測定装置の携行の義務化」なん
てことは不可能または理不尽ですので、架空の議論をしているのでもない限り
は*そのような仮定を置くこと自体が非現実的*であるわけです。
#少なくとも私はそのような前提を置いてはおりません。もっと現実的な話を
#しています。

=====

>>> では、行動規範をもっと増やせばいいのでしょうか?
>
>> 禁煙の場所を増やせば良いだけじゃん。
>
>では、どの程度増やしましょう?

必要なだけ。

>例えば、他人に基準値以上の煙が届く確率でも目安にしますか?
>それが10%以上だったら一律禁煙とか?
>それじゃあ、ゆるすぎるから5%あたり? 1%にする? 100分の1%ぐらい?

それは運用の問題ですから今決定する理由も必要もないでしょう。そもそも社
会的基準がハッキリしていない段階で決められるわけがないでしょう。



<余談>

>> 行動規範ってのは社会的基準そのものだと思いますが?
>
>だったら、何故名前を変えるんでしょう?

「PならばQである」からといって「QならばPである」とは限らないからですね。
#社会的基準は行動規範だけじゃないってこと。当たり前ですが……。

>wacky氏は、「結果に対する社会的判断基準」と「普通に言う行動規範」を足
>したものを「行動規範」と呼んでるようですが、そんな性質の違うものをまと
>めてしまうメリットは何かあるんでしょうか?

それは「QならばPである」を無根拠に肯定してしまったが為の誤解でしょう。


>http://www.asahi.com/health/smok/01.html
>| 副流煙に含まれる発がん物質は40種類以上。その一つのベンゼン。換気して
>| いない6畳間でマイルドセブン・スーパーライトを1本吸うと、濃度は環境基
>| 準の4倍の濃度になる。
>
>ということです。
>6畳間で一本分となると、弱煙者にとっては相当きついし、多分、多くの人に
>とっても快適から程遠いでしょうが、それで環境基準値の4倍程度です。
># まあ、他の物質や粉塵濃度がどうかは知らないけど。
>
>そこから推測すると、迷惑の基準値は、環境基準値の10倍には、まず、ならな
>いでしょうね。もっと少ないでしょう。
>
>また、
>http://www.ed.fuk.kindai.ac.jp/~johashi/grd2001/misumi.pdf
>の実験によると、煙草煙によるストレスは、濃度に比例するというものではな
>いようです。
>ストレスを感じる人は、煙草の煙だと判断できる濃度であれば、それ以上に濃
>いものとほぼ同様のストレスを感じるようです。
># この実験、ちょっと面白いです。
># wacky氏は、煙草の煙と他の煙の区別があまりつかないようですが、この実
># 験の被験者は、喫煙者も非喫煙者も煙草と枯葉を明確に区別してるようです。
># 好き嫌いは逆転してますが。
>
>というわけで、迷惑の基準値は、それほど高い値にはならないでしょうね。

wackyは臭いの区別がつかないわけではなく「個人的好悪感では区別しない」
だけですのでお間違えなく。
で、提示された資料から言えることは、迷惑さと煙の濃さは殆ど関係ない、つ
まり「6畳間で一本だろうと2本だろうとあまり変わらない」ってことなので
は?要するに*ここで言っている*迷惑ってのは原因とされるものとの物理的関
連性が希薄な「心因性」のものであって、環境基準とはあまり関係ない。って
ことでしょう。

</余談>

-- 
wacky