! "<40700999$0$19844$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 04 Apr 2004 22:12:34 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c3rlnp$cr4$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> そういう分け方だったら、たしかに場合分けになっています。
>> が、
>> 
>> <3fad2bdd$0$19847$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
>> | Date: Sun, 09 Nov 2003 02:46:31 +0900
>> | 常識を備えた人間であれば、何の理由もなければ「放火してないという前提を
>> | おく」でしょう。違いますか?
>> 
>> というのは場合分けとは言いません。

> それは明らかに「放火魔と思われる場合」と「放火魔でないと思われる場合」
> に別けた場合に普通の人間(つまり、特に放火まであると考える理由もないわ
> けですな)がどちらに属すか。って話ですから、場合別けそのものであると言
> えるでしょう。

いいえ。
場合分けしたのちに、その一方を無批判に捨ててますから、普通にいうところ
の「場合分けして考える」というのにはなっていません。
普通は、「場合分けして考える」というときには、分けた全ての場合について
考察します。

> =====

>>> 放火・殺人といった重大な問題で異ならないのなら、あとは何で異なるという
>>> のかね?評価が異なる・異ならないという判断はランダムに決まるわけではな
>>> く、状況の変化の重大さによって決まってくるのではありませんか。
>> 
>> 変化の重大さは、パラメータの一つにしか過ぎません。
>> 例えば、同じ「放火」という重大な出来事であっても、「他人が放火したとい
>> う状況」での「消火」の評価が「出火の原因が放火ではないという状況」での
>> 「消火」の評価とあまり変わらないってのは、wacky氏でも同意するんじゃな
>> いかな?

> だから?

つまり、重大な問題だからといって評価に重大な影響を与えるとは限らないっ
てこと。
だから、どのような、それが評価に影響を与えるのかは、ちゃんと順を追って
考えなきゃならない。

>> 状況の変化の重大さだけで評価への影響の大きさが決まるのであれば、「自分
>> が殺人を犯した」という状況での「消火」は、「自分が放火した」という状況
>> での「消火」と少なくとも同じくらい影響を受けるはずですね。
>> そういう主張ですか?

> そりゃあ「影響を受ける」でしょう。ただし、両者の及ぼす影響は正反対と
> 言って良いほど異なりますので、「同じくらい」なわけがないでしょう。

正反対なんですか?

ってのはトモカク、
重大な問題だからと言って、評価に重大な影響を与えると無批判に決めつけて
はいけないってことですね。

というわけで、

<c124ig$eqo$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: で、具体例に当て嵌めたときに、「評価が異なる」と主張したいのなら、その
: 根拠を示すべきでしょ?

という問題に戻るわけです。

> =====

>> 「アクセルを踏む」というのは「人を殺す」という行為の手段の一つです。
>> もちろん、その手段を行為として評価できますが、その場合に問題になるのは、
>> 「アクセルを踏む」という行為の目的、手段、結果であって、「大目的」の方
>> じゃありません。
>> なのに、「大目的」の評価で、「アクセルを踏む」という行為という行為の評
>> 価を決めてるから、評価の対象をゴチャマゼにしてるというんです。

> やはり、ゴチャマゼにしてるのはKGK氏でしょう。

いいえ。

> 当たり前の話ですが、「アクセルを踏む」という小行為の目的は「加速するこ
> と」です。

人が目の前にいる状況で、「加速すること」という目的を達成すれば、「車で
人を轢く」という効果が得られます。
それが、状況込みで考えたときの「アクセルを踏む」という行為の目的です。

> 残念ながら、大行為と小行為の区別もつかないようではマトモな行為の評価な
> どおぼつかないでしょうね。

wacky氏独特の用語が理解できてなくても、行為の評価はまともにできます。

>>> 先ず第一に、「不当な手段を弄してでも望む結果を得る」ことが目的であれば
>>> その目的自体が不正であることは明白である。
>> 
>> いいえ。
>> 「不当な手段を弄してでも望む結果を得る」という目的を持ったとしても、実
>> 際に「不当な手段」を用いない限り、不当にはなりません。

> それ以前に、それじゃあ行為にすらなりませんよ。

不正でない手段を用いたのなら行為になります。
例えば、「放火してでも賞賛を得る」という目的で行動してたとしても、放火
するまでもなく出火したところにたまたま居合わせれば、それを消火すること
で賞賛を得ることは可能です。

こういうややこしさは、目的の評価に手段の評価を混ぜてしまったところから
起こっています。
「不当な手段を弄した」というのは手段の不当さを示しているのであって、目
的の不当さを表わしているわけではありません。

マッチポンプは、俗に言う、「目的のためには手段を選ばない」というところ
に悪さがあるわけで、目的が悪いわけではなく一部の手段が悪いんです。

>> 「マッチポンプ」における「消火」は小行為の一つです。
>> で、別の小行為である「放火」が不当であることから、「消火」という小行為
>> も不当だというのが、wacky氏の論法です。

> いいえ。その解釈は全くの誤りです。
> wackyは「小行為である「放火」が不当であることから「マッチポンプな状況
> における消火」という大行為も不当である」と述べているのですよ。

「マッチポンプな状況における消火」というのを大行為と呼んでしまうところ
に、wacky氏の大行為/小行為という用語のおかしさがあるわけです。

「マッチポンプ」と呼ばれる行為を評価するとき、「放火」と「消火」が手段
となるわけですが、その両者は、当然ながら、その状況のもとで行なわれたと
して評価されます。
つまり、「その状況の下での放火」と「その状況の下での消火」が評価の対象
になるわけです。

状況を無視したのが小行為で状況を考慮に入れたのが大行為と分類するのであ
れば、小行為というのは最初から評価の対象になりません。
しかも、今の議論では、マッチポンプが行なわれた状況というのを全く考慮し
ていませんから、マッチポンプを小行為として評価していることになります。
で、それを構成する手段の放火と消火を大行為として評価していると。

もう少し、まともな用語設定をした方がよさそうですね。

>>> 小行為の一つが不正であれば
>>> 他の小行為が不正である必要はありません。
>> 
>> で、「マッチポンプ」という大行為に対する、「消火」という小行為は不正な
>> んですか?

> 「放火」という小行為が不正であることは明白ですので、この時点で既に「消
> 火」という小行為にこだわる意味はありません。

不正の度合をはかるには、構成する行為群のそれぞれの不正の度合を全部考慮
に入れる必要があるでしょうね。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK