KGK == Keiji KOSAKAさんの<c124ig$eqo$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> だ〜か〜ら〜、^_^;
>> 「普通の人、大抵の人は放火魔ではない」ってのが極当たり前の場合別けって
>> モンでしょうが。
>
>いいえ。それは場合分けとは言いません。
>場合分けってのは、「放火した場合」と「放火しなかった場合」に分けて、そ
>の両方のケースについてそれぞれ考察することです。

だ〜か〜ら〜、^^;
それって、「放火魔だった場合」と「放火魔でなかった場合」に別けることと
何が違うってえの?表現だけ変えたって中身に違いはないんだけど。
#先回りしとくけど、また「人の評価」とかで誤魔化さないでね。

そして、KGK氏のような「普通の人」が常識的にどちらに分類されるかは言う
までもないことでしょう。

=====

>> 一般論を認めているのに「一般論と同様だろう」という主張に根拠を求めるの
>> はオカシナ話だよね。
>
>一般論で言えるのは「評価が異なっても不思議ではない」ということであって、
>「評価が必ず異なる」ということじゃないです。
>評価は異なっても不思議じゃないけど、異ならなくても不思議じゃないんです。

詭弁だなぁ。^^;
#「不思議じゃない」という言葉の曖昧さを利用しているわけですな。
真実は「基本的には評価は異なるはずだが、状況の違いがある閾値を下回るほ
どに小さい場合は評価が変わらないこともある」といったところでしょう。

>で、具体例に当て嵌めたときに、「評価が異なる」と主張したいのなら、その
>根拠を示すべきでしょ?

放火・殺人といった重大な問題で異ならないのなら、あとは何で異なるという
のかね?評価が異なる・異ならないという判断はランダムに決まるわけではな
く、状況の変化の重大さによって決まってくるのではありませんか。

>> 疑問を持った者が「一般論と異なる根拠」を示すのが道
>> 理というものです。
>
>私の主張でも一般論と異なるわけではありません。

いいえ。
KGK氏の主張は、例えば「他人の消しゴムを黙って使う」と「殺人」という重
大性の異なる問題をを同列においている点で明らかに誤りです。

=====

>>>> 「アクセルを踏み込む」ことの目的は「スピードを増加させる」ことであって
>>>> 「人を殺す」は関係ありません。
>>>> #ってのがKGK氏の論理ですね。:-P

>最近の用語では、「アクセルを踏み込む」ことの目的は「スピードを増加させ
>ること」で、目的から想定される効果は「スピードを増加する」と「人が死ぬ」
>ですね。

馬鹿を言っちゃいけない。^^;
何で「アクセルを踏み込む」と「人が死ぬ」んですか?
#私は何度もアクセルを踏んでいますが今の所人が死んだ形跡はありませんよ。

>で、目的から想定される効果がダメで、他に特によい部分はないから、全体と
>してダメ。

そりゃ、全体的な目的として「人を殺す」があるからでしょう。
このように、自己都合によって恣意的に「大行為の大目的を小行為の小目的に
摩り替える」ことがKGK氏の主張における問題です。そしてそれは随所で生じ
ている。無自覚に行っているのなら自覚して修正してください。

=====

>> ・この「アクセル」は「不当な方法で人を殺す」という目的のもとに行われた行為であるから「悪い」
>> ・この「消火」は「不当な方法で賞賛を得る」という目的のもとに行われた行為であるから「悪い」
>> と、簡潔かつ合理的に解釈します。
>
>つまり、目的のよしあしで手段のよしあしを決めてしまうんですね。
>それは、評価の対象をゴチャマゼにしてるってことです。

ごちゃ混ぜにしているのはKGK氏、アナタでしょう。^^;
評価の対象は*行為*であって*手段*ではありません。
#そして、目的とは「行為の目的」であり、手段とは「行為の手段」であり、
#結果とは「行為の結果」であるわけ。

>しかも、「不当な方法で人を殺す」という記述だと、方法が正当であればよい
>のかってことになりますが、そうじゃないですよね。その状況で人を殺すこと
>自体が不当なんだから。

いいえ。たとえば死刑を執行するというのは正当な方法で人を殺すということ
であり、その状況で人を殺すことは正当です。

>で、「不当な方法で賞賛を得る」の方は、方法が正当であれば「賞賛を得る」
>ことは問題ないわけです。で、「不当な方法」というのは、この場合、「不当
>な手段」と言ってもいいわけですが、何が「不当な手段」なのかというと、文
>句なく「放火」なわけ。
>
>したがって、wacky氏の論理は、手段の一つの不当さを目的の不当さに摩り替
>え、さらに、目的の不当さを手段の別の一つの不当さに摩り替えるという、二
>重の摩り替えを行なってることになります。

先ず第一に、「不当な手段を弄してでも望む結果を得る」ことが目的であれば
その目的自体が不正であることは明白である。従って第一の摩り替えと指摘さ
れたものは当然の帰結に過ぎない。
第二に、かねてからwackyは「大行為に含まれる小行為のどれかが不正であれ
ば全体としての大行為は不正である」と述べているので、「目的の不当さを手
段の別の一つの不当さに摩り替える」という指摘は議論相手の主張を全く理解
していないことの表明か、でなければ嘘である。小行為の一つが不正であれば
他の小行為が不正である必要はありません。

-- 
wacky