! "<3fd66dca$0$19837$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Wed, 10 Dec 2003 09:51:12 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<br46s6$de8$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ! "<3fad2bdd$0$19847$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>> !     Sun, 09 Nov 2003 02:46:31 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>> 
>>> #たとえば、誰かが「何の理由もないが、KGK氏には放火魔の疑いがある」と
>>> #主張したとしたら、大抵の良識ある読者は「その発言者の方が非常識であ
>>> #る」と判断するのではないでしょうか?
>> 
>> 何の理由もなしに、「放火魔ではない」と決めつけるのも非常識。

> つまり
> ・KGK氏は放火魔である可能性がある
> ・KGK氏は強姦魔である可能性がある
> ・KGK氏は殺人者である可能性がある
> ・KGK氏はその他諸々の犯罪あるいは不名誉な行いを為している可能性がある
> という前提を置くのが当たり前で、そのような指摘を受けて憤る方が非常識だ
> というわけですね。^_^;

いいえ。
知りもしないのに前提として置かないってのが当たり前。

> 私だったら大いに憤り、「何を根拠にそのような主張をするのか?」と詰問す
> ると思いますが、これって変ですか?

これは、「放火魔である可能性がある」と「指摘する」というところで問題が
摩り替えられてるわけ。
そういうことを「指摘する」ってのは、普通は、そういう可能性が人より高い
という根拠があるときにするものです。
だから、怒る。

完全にニュートラルな表現にすれば何の問題もないですね。
例えば、
・X氏は放火魔である可能性が、他の人々と同程度にはある
なんてので、何か問題ありますか?
# まあ、他の人々より可能性が有意に低いって根拠があれば別だけど。

で、指摘云々を除けば、知りもしないのに頭から可能性を否定してかかるのは
間違い。

>> 自分の行為だろうが他人の行為だろうが、既に起こったことは「状況」として
>> 捉えるのが可能だし自然だしやってよいことです。

> だったら、「自分で放火した」だって「自分で消火した」という行為の「状
> 況」として捉えるべきでしょう。

最初からそう言ってます。

> そして「状況」が異なれば評価が異なるのは
> 何の不思議でもない。

一般論としてはそうですが、この場合に評価が変わる根拠は何ですか?

>> 行為の評価をするのに、行為が行われる前のことに対する評価を混ぜてしまう
>> のは、「行為の評価」としては明らかにずれてます。

> 何の行為を評価するのかが問題だよね。

だから、そういう状況下での「消火」を評価してるって何度も言ってるでしょ?

>> いいえ。
>> 火がついた原因は消火の評価に関係ないってだけの話です。

> だからさ、^_^;
> それって、車による殺人事件について「ドライバーがアクセルを踏み込むこと
> には何の問題もない」と主張しているようなモンだよね。

なんで?
その例では、アクセルを踏み込んだ結果、人を殺してるわけでしょ?
問題あるに決まってんじゃん。

もちろん、同様に、「消火をした結果、火が大きくなった(油でもかけたのか
よ)」とか「消火をした結果、被害の進行を食いとめる以上にまずいことが起っ
た」とかなら問題あるよね。

で、火がついた原因が、何で関係あるの?

> 常識的に考えれば、たとえば、そのドライバーは「目的地に向かって発進す
> る」という大目的の為に「車を加速させる」という小目的を実現する行為を行
> い、「目的地に到着する為に停止する」という大目的の為に「車を減速させ
> る」という小目的を実現する行為を行うわけです。
> 小行為の変化は「目的地へ行く」という大大目的を達成する過程での状況の変
> 化に対する自然な対応として*至極常識的に*理解可能です。

そうそう。

> 翻って、「放火して消火」には常識的に理解可能な大目的が存在しませんね。
> #悪意や身勝手な欲望に基くもの以外には…

例えば、「いい意味で世間の注目を浴びる」ってのが目的だと設定して話でき
たんでしょ?
それでいいじゃん。
# そのこと自体は、まずいことじゃないし。

で、「いい意味で世間の注目を浴びる」ためには、小目的の一つとして、いい
ことをして見せなけりゃいけない。
そのために、「消火をして現在進行中の被害の進行を食いとめてみせる(ある
いはその努力をする)」ってのを選ぶってのは、何もまずくないわけ。
ここでのキーポイントは、「消火がいいことじゃなけりゃ、目的が達成できな
い」ってことね。

で、「消火」の機会をつくるために「放火」する。
これはまずい。誰が何と言おうとまずい。
# 誰も何も言ってないけど。
だけど、行為としては一貫してる。何も矛盾はない。

というわけで、一連の選択のなかで、まずいのは「放火」だけで、「消火」は
いいことだし、大目的の方もまずいってほどのことじゃないよね。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK