KGK == Keiji KOSAKAさんの<bnvqq8$pcq$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>0>> ! "<3e98deb9$1$3094$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>"
>0>> !     Sun, 13 Apr 2003 12:51:58 +0900
>0>> : たとえばね、
>0>> : 「消火活動をする」というのはそれだけ見れば「良いこと」ですが、後から
>0>> : 「消火活動をした本人が火を点けて回っていた」ことが明らかになったとした
>0>> : ら、それでも最初の「消火活動をする」が「正しい」「問題ない」と言えるの
>0>> : だろうか?ってことです。

最初に登場する「消火活動をする」は下記2の「消火」にあたります。
#何の理由もなく「放火した」という前提をおくことは在り得ないから。
そして、その後に登場する「消火活動をする」は同1にあたるわけですね。

>> 1.「放火した」という前提のもとでは「消火」の有無で評価を変えないだろう
>> 2.「放火していない」という前提のもとでは「消火」という*善意*の有無に
>> よって評価は大きく変わるだろう
>> 何か矛盾がありますか?
>
>それは、何に対する評価ですか?
>
>(い) 「本人が放火した」という特定の状況下での「消火」
>(ろ) 一連の放火と消火を一つ行為とみなしたもの
>(は) 行為者
>
>頭に0をつけた引用部は(い)を題材にしてるようです。
>1と2は(ろ)か(は)を題材にしてるように見えます。
>それらの評価は別であってもおかしくないのに、wacky氏はいつも混同してる
>ようです。

#結局の所、真に述べたかったのは「お前は人の評価をしているんだったらし
#てるんだ」っていう*何の根拠も提示されていない部分*なんじゃないかって
#気がしますよ…。

(い)と(ろ)は同じ事を言い換えたに過ぎませんよ。^^;
「自らの行為によって引き起こされた行為の結果」を「状況」と称すること
は、一般常識的に言えば、それが結果を非常に予測しやすい「放火」という行
為に当て嵌めるのは非常に不自然ですね。
#まあ、だからこそ無理矢理切り離すのだろうが…。


>>>> んじゃ、消火活動空しく全焼した場合には「褒められてしかるべき」ではない
>>>> のかね?
>>> 
>>> 目的としては、「人の生命・財産への被害を減少させる」ということで、これ
>>> は客観的に分かることだし、「褒められてしかるべきこと」です。
>
>> 自分で火をつけた家を消火したところで財産価値が上がることも減らないこと
>> もあり得ないでしょう。
>
>それは、火をつける前と比較してのことですね。
>上記の(ろ)の評価ならそういうことが言えます。
>
>が、私が評価してるのは(い)です。
>既に燃えてる状態では、刻々と財産価値が減少中です。
>それを食いとめるのが「消火」の目的ですね。

#そして、財産価値の減少を開始させるのが「放火」の目的ですね。

だ〜か〜ら〜、^^;
そりゃ単なる「消火」の話であって、「本人が放火したという特定の状況下」
とは無関係じゃん。全然(い)の評価になってないですね。

>>> というわけで、おおざっぱに言って、「目的○、手段?、結果×」というとこ
>>> ろでしょう。
>
>> その「マルな目的」って何?
>
>財産価値の減少を食いとめること。

で、「財産価値の減少を食いとめる」という「マルな目的」を持った同じ人
が、一体全体如何なる目的で放火なんてするわけ?
#結果的に「財産価値の減少を食いとめた」だけなんじゃないの?

-- 
wacky