KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjut2b$4gt$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> この「なきゃならん」は自分で自分を強制するのであって、他者から求められ
>> るような「義務」の意味ではありません。
>
>何故、自分で自分を強制するかというと、それが他者から求められるだろうと
>想定するからじゃないんですか?

うんにゃ。^^;
それは自分の主義主張信条を守る為。


>>> まず、
>>> ・「消火」なら何でも「褒められてしかるべき」
>>> という主張はしてません。
>>> ・「消火」という行為を評価するときに、自分で火をつけたかどうかはあまり
>>>   関係ない
>>> という主張です。
>
>> その主張を「少しは関係ある」と読み替えられるのなら大した問題は無いです。
>
>「少しは関係ある」けど「少ししか関係ない」というところ。

少しでも関係あるなら考慮の必要があるのは必然でしょう。


>>> さらに、それでも「褒めたくない」のなら、評価を表明しなきゃいいんです。
>>> いくら褒めたくないからといって、正当な行為を貶すのは大間違いですが、評
>>> 価を表明しないのは間違いじゃありません。
>
>> それはもう「褒められてしかるべき」とは根本的に異なる話です。
>
>「褒められてしかるべき」ものを「褒めたくない」のなら、そういう話になる
>でしょ?

だから、「褒められてしかるべき」ものを「褒めたくない」なんてのは今の議
論とは全然関係無い話でしょ。


>>>>> 「褒めなきゃいかん」と「褒めなきゃならん」は同じものということでいいで
>>>>> すよね?
>>> 
>>>> wackyの述べた「褒め(称え)なきゃならん」とKGK氏の述べた「褒めなきゃなら
>>>> ん」は全く異なるものです。
>>> 
>>> どこがどう違うんでしょ?
>
>> 頭書の通り、自分自身を強制するか、他人(社会)に強制されるかの違いです。
>
>・他者から求められるだろうと判断したものを自分自身に強制する。
>・他者に強制されると判断する。
>似たような話ですね。

頭書の通り違います。というより誤解があるようですね。


>>>> 「放火魔による消火」のように「非難されてしかるべき」ものもあ
>>>> ると思います。
>>> 
>>> では、「放火魔」は消火しない方がいいんでしょうか?
>
>> 消火しようがしまいが「非難されてしかるべき」だと思います。
>> 設定上「放火魔」は「消火活動によって注目を集めることに喜びを見出す」こ
>> とになっているので、彼が消火活動をしなかったとしても、特に理由が無けれ
>> ば「何らかの理由からしたくてもできなかった」と考えるのが妥当でしょう。
>> で、あれば、消火活動の有無によって評価を変える意味は無いです。
>
>消火活動の有無によって評価を変える意味は無いのなら、消火を非難する理由
>がないじゃんか。

何度も繰り返しますが、私は状況を無視して無理矢理切り出された「消火」な
んてものを非難してはおりません。「消火によって完結する行為全体」を非難
しているわけです。従って、「消火」そのものの成功・失敗は関係無いと言っ
て良いでしょう。

>で、wacky氏は放火魔の内心の動きにばかり注目してますが、それは、「人の
>生命・財産への被害を減少させた」という客観的事実を上回るほど悪いことな
>んでしょうか?

んじゃ、消火活動空しく全焼した場合には「褒められてしかるべき」ではない
のかね?
#んなこたあなかろうよ。

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wacky