! "<403f49b0$0$19832$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Fri, 27 Feb 2004 22:44:28 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c1naat$shk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> それは別に「良かれと思ってやったことなら何でも可」なわけではなく、社会
>>> 常識として当然わきまえているべきことは考慮されているものと看做されるべ
>>> きでしょう。
>> 
>> ってことは「善意からやったことでもダメな場合がある」ってことですね。
>> つまり、「善意/悪意」で行為の評価をしようとしてたwacky氏のスキームは、
>> ここで破綻してるわけだ。

> そりゃ、前提が非常識だったり身勝手だったりすれば破綻もするでしょう。

私のやりかたでは全然破綻しませんが。

> 善意云々以前に社会的に期待される常識や判断力を持ち合わせていなければ
> しょうがない。

それは一体何に対する評価なんでしょう?
行為者の常識に対する評価? 行為者の判断力に対する評価?
いずれにしても行為に対する評価になってないよね?

> #多分小学生になったばかりくらいの頃、親戚が獲ってきた沢蟹を「水が冷
> #たくてかわいそう」だからと日向に出して皆煮殺してしまったことがある。
> #これなど無知なる善意が害悪となることの好例であろう。

そういう行為に対しては「害悪」になったことで評価するのに、何で他の例で
は善意や悪意にこだわるんでしょう?

> =====

>>> で、何で「俺様よりアイツを修正したほうが効率的だ」なんてことが分かるん
>>> だっけ?前にも尋ねたけど解答が無かったような気がするけど。

>> 自分が修正に要する時間を x、相手が修正に要する時間を y、批判に要する時
>> 間を z とします。で、次の二つのパターンの修正を考えます。
>> (甲) 自分が修正して、相手を批判し、相手が修正する。
>> (乙) 相手を批判して、両者並列に修正する。
>> もちろん、甲がwacky氏が許容可な唯一のパターンで、乙が私が許容可なパター
>> ンの一つなわけです。

> だから、そのxやらyやらを「どうやったら知ることが出来るんだね?」と問
> うているんですが?

xは自分のことだから見当はつくでしょ?
正確なことは分からなくても10分ぐらいか10日くらいか3ヶ月ぐらいか、その
程度の見当はつくんじゃない?

で、yは知らなくていいんです。
ちゃんと結果に、
>> つまり、
>> ・両者のポイ捨て頻度が同程度であれば、z < x のときに乙が効率的。
>> ・相手のポイ捨て頻度が自分より高ければ、z と x が同程度でも乙が効率的。
>> などのことが言えます。
>> # ここで、y が関係ないってのは、ちょっと面白い。
>> # つまり、相手が修正にどのくらいかかるかという、最も不確実な情報は、甲
>> # 乙どちらが効率的かという判断に効かない。
と書いた通り。

もっと現実的なモデルでやりましょうか?
自分の頻度が初期値 a_0 で、努力した時間に応じて減衰曲線 a(t) で減衰し
ていくとしましょう。
相手の頻度は初期値 b_0 で、努力した時間に応じて減衰曲線 b(t) で減衰し
ていくとしましょう。
で、甲の場合、「充分に修正した」と自分が判断する頻度を a_1、それに要す
る時間を x  としましょう。

甲の場合のポイ捨て回数は、
自分: ∫_0^x a(t) dt + a_1 z + ∫_x^∞ a(t) dt = a_1 z + ∫_0^∞ a(t) dt
相手: b_0(x+z) + ∫_0^∞ b(t) dt
乙の場合は、
自分: a_0 z + ∫_0^∞ a(t) dt
相手: b_0 z + ∫_0^∞ b(t) dt
です。
ポイ捨て回数の総計の差を取れば、
回数(甲) - 回数(乙) = (a_1 - a_0)z + b_0 x
となって、前回と比べてパラメータ一つ増えただけで、ほとんど変わらない結
果です。
で、a_1 が大きい方が甲が有利になりやすいですが、a_1 が充分に小さくなけ
れば「充分に修正した」と判断するのは間違いでしょうね。
典型的に a_1 = 0 とすれば、前と同じ結果です。

で、現実的なモデルにしても、
>> # つまり、相手が修正にどのくらいかかるかという、最も不確実な情報は、甲
>> # 乙どちらが効率的かという判断に効かない。
ということは変わりません。

というわけで、せっかく変えたサブジェクトに対する答えとしては、「不必要」
となります。

もちろん、
>> どっちにしても、この考察は効率の問題であって、正誤の問題とは関係ありま
>> せん。
という事情も変わりません。

> =====

>>> 反論1:
>>> だから、そんな「個々の行為の評価」に何の意味があるねん。
>> 
>> それは、「行為の評価」というものに意味がないって話ですか?
>> 普通、「行為の評価」というと「個々の行為の評価」のことを指すと思うんで
>> すが。

> ここで「個々の行為」「単独の行為」というのは「自己棚上げの批判」を指す
> べきものですよね。

そうですね。

> KGK氏はこれを「(単なる一般的な)批判」に摩り替えた上
> で評価しようとしているようですが、

してません。

> なぜなら「自
> 己棚上げの批判」を「自己棚上げ」と「批判」に別けることなど出来ないので
> すから。

「自己棚上げ」というのは行為の関連性であって、「批判」というのは行為で
す。
そして、行為の関連性の評価がそのまま行為の評価になるわけではありません。
で、その「行為の関連性」が、行為の評価にどのような影響を与えるかが問題
なわけですが、wacky氏はその部分を明らかにしていません。

>>> 反論2:
>>> 「別のところ」ってどこやねん。行為と問題は切り離せないでしょ。
>> 
>> 少なくとも「単独の行為」の問題じゃないでしょ?

> いいえ。「自己棚上げの批判」という「単独の行為」の問題です。それは「一
> 般的な批判」という問題のない「単独の行為」とは異なる「単独の行為」ですよ。

つまり、「個々の行為の評価には意味がない」と言いながら「個々の行為の評
価」をやってるんですか?
で、「自己棚上げ」という行為の関連性が「批判」という単独の行為の評価に、
どういうメカニズムでどのように影響を与えるんですか?

>>> 反論3:
>>> 幾ら口先で「関係ない」と言おうが、その行為によって「お前こそループに陥
>>> る」ことを否定できないでしょ。
>> 
>> 何度も否定してます。

> ぜんぜんしとらんがな。^_^;

してますよ。wacky氏が理解できてないだけで。

> =====

>>>> といいつつ、「社会的誤りを増やす」ような選択肢を挙げてどうすんねんな。
>> 
>>> 何が「「社会的誤りを増やす」ような選択肢」なんだろう?

>> <3f5aa684$0$263$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
>> | 2.空き缶のポイ捨てを止められないのなら他人を非難しない
>> 
>> という選択肢のことです。
>> 他人を批判するのに比べて、「社会的誤りを減らさない」選択肢なわけですか
>> ら、相対的にみて「社会的誤りを増やす」ような選択肢ですね。

> その誤りを減らすためにKGK氏は「自己棚上げの批判」という「社会的誤りを
> 増やす」行為をしているわけです。

それを「社会的誤り」と決めつけてるだけの話ですね。

> 仮に相手がポイ捨てを止めてトントン、や
> めなかったらそれこそ「社会的誤りを増やす」結果にしかなりませんけど?

ということは、「自己棚上げの批判」をポイ捨てに匹敵する程悪いと見倣して
るわけですね。
何故でしょう?
実際に物理的にゴミがあるべきじゃないところにゴミが増えることに匹敵する
悪さってなんでしょう?

> =====

>>> 「まっとう」であればね。
>>> ってことは*辞書どおりの意味で*の「誰でも」ではなく、自己棚上げや我田引
>>> 水な考えを持たない公正な人であることが求められるわけですよ。

>> 基準がまっとうであれば、人がまっとうである必要はありません。

> まっとうでない人がまっとうな基準を示すことなど万に一つも期待できないで
> しょう。

それは基準を見て判断すればいいことで、人を見て判断することじゃないでしょ?
それとも「まっとうでない人の主張だから内容如何にかかわらず切り捨ててよ
い」という立場ですか?
# 肝心なのは、「誰が主張したか」じゃなくて「何を主張したか」だよなあ、
# 普通。

>>> #となると、当事者の利害にかかわらない中立の人が望ましいわけ。
>> 
>> それは多分、最悪の選択ですね。
>> 利害を持たない問題に対しては、問題意識が低いのが普通ですから、誰一人納
>> 得させられない基準になるのがおちでしょう。

> 常識に反した身勝手な主張であると思います。
> #片側に肩入れすれば「少なくとも片方が納得するから誰一人納得しないより
> #マシだ」とでも言うのでしょうか?

また何か誤解してますね。
基準を作るのは当事者双方のすりあわせであるべきで、第三者はそれをとりま
とめるために議事進行に徹っするのが普通でしょう。

> たとえば、裁判官や警察官が自らの関わる事件の処理に携われないのは何故
> か?と考えれば、その主張の問題点に気付けるのではないでしょうか?

警察官は社会的判断の基準を作るのではなく、既に作られた基準を守らせるの
が役目なんだから、ここでは関係ないでしょう。

裁判官にしたって原則としては作られた基準に従って判断するものです。
それでは足りないときに初めて、自分で基準を作ることになるわけですね。
で、その場合、「ただ一人の人間が決定権を持っている」という特殊性が効い
てくるわけです。
さらに、裁判官は職業として取り扱ってるので「問題意識が低い」では済まさ
れません。そういうところにも特殊性があるわけです。

で、社会的基準を作るのが普通であるような場は、例えば国会ですね。
議長は建前上中立ですが、基準を作るのは議長ではなく、各党の主張を充分に
吟味した結果に対する投票で決まるわけ。
# 少なくとも、建前上は。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK