! "<40373a53$0$19845$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sat, 21 Feb 2004 20:00:43 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bv87pu$gp$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 「将来的には解決するつもりはある」の「解決」の対象は何?
>>>> 「他人には即時的な矯正を要求している」の「矯正」の対象は何?

>> 前者は、「ポイ捨ての習慣」、後者は「一回のポイ捨て」と解釈しなけりゃ筋
>> が通らないよね?

> 何で?「(ポイ捨ての習慣における)将来の複数回のポイ捨て」と「(ポイ捨て
> の習慣における)現在を含んで将来にわたる複数回のポイ捨て」でしょ。

という話だったら、「他人には矯正の努力の即時的な開始要求している」程度
の話にしかならないですね。

>> 後者も習慣だとすれば、せいぜい、「他人には矯正の努力の即時的な開始要求
>> している」程度の話にしかならないから。

> 努力さえすれば良いのか?

「即時的な要求」は「努力の開始」でしょ。
もちろん、将来的には矯正が完了することを要求してるわけだけど。
というわけで、自分に対しても他人に対しても同じですね。

> #煙草なら「努力の*跡*が見られないから駄目」とか言うじゃん。

もちろん、効果の表われていない努力など、評価に価しません。

> =====

>>>>>>>>> 「将来的には解決するつもりはある」と仮定したところで「他人には即時的
>>>>>>>>> な矯正を要求している」時点で、依然として身勝手という謗りを免れることは
>>>>>>>>> できないでしょうな。^_^;
>>>> 
>>>> というのはその二つを対比させてない?

>>> 第一に「即時的な矯正」と「対比」は無関係であること。
>> 
>> これは意味が分かりません。要解説。

> つまり、自己棚上げであろうとなかろうと批判が「即時的な矯正」の要求であ
> ることに変わりはないということ。

違いますね。
まっとうな批判は不可能事を要求しないものです。
即時的な矯正が可能であればそれを要求するでしょうが、そうでなければ矯正
努力の開始を要求するでしょう。

>>> 第二に「身勝手」という判定が対比しているのは上記ではなく、
>>> ・既に矯正しているあるいは最初から問題が無い者の要求であった場合
>>> ・自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合
>>> のふたつであるということ。
>> 
>> 「自分がやってないことを人にやらせる」ってのを「身勝手」と称してんじゃ
>> ないの?

> そのまんま「自らは即時的な矯正をするつもりの無い者の要求であった場合」
> だよね。

だから、上記の対比じゃないよね?
・他人に即時的な矯正を要求する
・自らは即時的な矯正をするつもりが無い
というのを対比させて「身勝手」と称してるんじゃないの?

それだと、「自分がやってないこと」と「人にやらせること」が対称じゃない
と話になんないよっていってるわけですが。

>> 不当だと判定するのは「するな」ってのと同じでしょう。

> いいえ。同じなのは「するべきではない」とです。それは「自分だったらしな
> い」ということ。「常識的な人間ならしないだろう」ということ。他人への強
> 制とは関係ない。

ということなら、
自分が過去に行なった全ての行為のなかで、これからしようとしている批判に
あてはまるものは全て充分に反省し二度と繰り返さないと決意するまでは、一
言も批判するべきではないって主張ですか?

> =====

>>> 私が言っているのは
>>> 1.自己棚上げの批判は社会通念に鑑みてもオカシイ
>> 
>> (あ) それを「行為の評価」として言うのなら、そういうのが含まれるような
>> 行為のモデルと評価のモデルを作って下さい。
>> (い) そうでなければ、評価の対象をはっきりさせてください。

> 何度も繰り返すように、
> i) 評価の対象たる行為は「自己棚上げの批判」である
> ii) 「自己棚上げの批判」とは「自らはポイ捨てしながら他人のポイ捨て*の
>   み*を批判すること」である
> ですね。

何の答にもなってないですね。
「自らはポイ捨てしながら他人のポイ捨て*のみ*を批判すること」というのは
その批判者の二つの行為を含んでるわけですが、その評価というのは、二つの
行為をセットにした何かを評価してるのか、その状況の中の批判という行為を
評価しているのか二つの行為の関連性を評価しているのか分かりません。

いままでのwacky氏の主張からすると、二つの行為の関連性への評価じゃない
かと思うんですが、そうなると、「自己棚上げの批判」ではなく、「自己棚上
げ」を対象にしてるというほうが自然ですね。

もちろん「行為の関係性の評価」と「行為の評価」というのは別ものですから、
別々に議論されるべきものでしょう。

> KGK氏の詭弁は、評価対象の「自己棚上げの批判」を「(通常は自己棚上げか否
> かは問われない)単なる批判」に摩り替えた上で「批判自体は正しい」と主張
> すること。つまり、論点の摩り替えです。

違います。
「行為の評価」を行なうときに、「行為の関係性」などという余分な構造を導
入していないだけのことです。

>>> 2.自分もやっている行為なら批判は先ず自らに向けられるべきだろう
>> 
>> (う) 何故そこで順番を決めなけらばならないのか。

> アナタ自身が最も身近な*問題行動を行う人間*だから。
> 順番をつける必要はありませんが、普通に考えれば、手近なところから始める
> のが自然でしょう。

順番をつける必要がないのなら、「べき」というのは強過ぎますね。
せいぜい、「自分もやっている行為なら批判は先ず自らに向けられるのが自然
だろう」という程度の話です。

もちろん、「不自然」であることと「不当」であることの間には相当開きがあ
りますから、その間を埋めようとしたら、相当説明が必要でしょうね。

>> (え) 例えば、癖になっているときのように矯正に時間がかかる場合は並列処
>> 理した方が効率的である。その可能性を排除するのは何故か。

> それこそ「変なイイワケ」の代表選手でしょう。
> i) 他人が癖になっていないなんてことが何でアナタに分かるんでしょう?

他人が癖になってようがいまいが、自分が癖になってれば、並列処理の方が効
率的でしょ?

> ii) 他人には「正しい内容の批判に従わない理由はない」と言いながら、自分
>   自身は「俺様は癖になってるから従わなくて良いんだ」ってのは明らかな
>   矛盾。

誰も「従わなくて良いんだ」などと言ってません。
単に、従うのに時間がかかるだけの話です。

>>> 3.真っ当な批判であっても自己棚上げがバレれば批判自体の信頼を失う
>> 
>> (お) 批判の信頼性は批判自体の内容によって決められるべきものであって、
>> それ以外の要素で信頼性を失なうというような評価をする方がおかしい。

> おかしいと言われようがそれが社会的事実というものです。

いいえ。
まっとうな人なら、そんな評価の仕方はしません。

> 今更、オオカミ少
> 年のお話を聞かされたいですか?

村人が偏見を持ったために、少年の言葉の評価を間違えた話ですね。
極めて教訓的です。

> =====

>>> 「自己棚上げ」が「自分を棚*に*上げている」状態を指すことに異議は無いよね。

>> 「自分の行為を棚上げにする」の省略として使っても不思議じゃないですから。

> だからさ、「*不思議じゃない*から自分に都合の良いように解釈する」のは止
> めましょう。相手の意図を汲まずに勝手に決め付けたのでは議論など成立しよ
> うもない。せめて、決め付ける前に尋ねましょうね。

もともとの設定に素直に従っただけの話ですが。
「自分でポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判する」というだけの設定に
「わざと自分を見逃した」という設定を付け加えなければ「棚に上げる」とは
言えないでしょ?
wacky氏は当然そういうものだと頭から決めてかかってるようですが、それほ
ど自明な話じゃないってのは何度も指摘している通り。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK