! "<401d91da$0$19837$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Mon, 02 Feb 2004 08:55:04 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bvah6n$a76$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から

>>>> 「行為の評価」ってのはそういうものでしょ?
>>>> で、普通の人間には推論能力があるから、「事後の評価がこうなるだろう」と
>>>> いう予測の下で行動できる。
>>>> 無意味な話じゃないですね。
>> 
>>> それは「行為の評価」ではなく(個人的な?)行動規範ですね。
>> 
>> その「それ」ってのは何を指してます?

> 無論、「「事後の評価がこうなるだろう」という予測の下での行動」ですね。

行為の評価のスキームができた後の話だけしてるんですね。

>> 最初の一行と後半の三行は、話してる対象が違うんですが。

> 無論です。だからこそ、事後評価と行動規範は全く異なるものだし無批判に結
> びつくものでもないと指摘しているわけです。

誰か無批判に結びつけようとしてるんですか?

>> 「行為の評価」がなければ、「行為の評価から行動規範を作ること」は出来ま
>> せん。

> だから、その行動規範を極個人的主観的な類推程度に留めてしまったのでは、
> 主観的な「俺様が迷惑を感じたから」を全面肯定するのと同じ轍を踏むことに
> なるでしょう。従って、行動規範や基準は社会的客観的なものである必要があ
> るわけです。

で、「行為の評価」の段階で行動規範や基準の話を混ぜる理由はなに?
行為の評価は行為の評価でやっとかないと、その後の組み立てができないのに。

> =====

>>> #「公正」は重要だが「公平」は重要でないとでも?
>> 
>> 少なくとも、「自他の公平」などというローカルな「公平」よりは、グローバ
>> ルな「公正」の方がずっと重要ですね。

> #ローカルな「公」の時点で既に意味不明なんですけど…。^_^;

「自他の」なんてローカルなものに「公平」なんてのを使う人がいるから、そ
ういう表現になるんですね。

>> で、これを「自分がポイ捨てをしながら、他人のポイ捨てを批判する」という
>> 問題にあてはめると、
>> ・「自分のポイ捨て」はルール違反だから、正しくない。
>> ・「他人のポイ捨て」はルール違反だから、これを批判するのは正しい。
>> と、同じルールを同じように適用するのが「公正」なわけ。

> #微妙に詭弁だな。^_^;

どこが?

> 正確には
> ・「自分のポイ捨て」はルール違反だから、正しくない
> ・「他人のポイ捨て」はルール違反だから、正しくない
> あるいは
> ・自分のルール違反を批判するのは正しい
> ・他人のルール違反を批判するのは正しい
> だよね。

「あるいは」というより、その両方です。

> で、
> 「正しい行為である批判を特段の理由もなく*したりしなかったり*する」のは
> オカシナ話だし、

何故?
正しい行為をするのは正当だけど、正しい行為をしなかったからと言って不当
なわけじゃないよね?

> 他人に対しては「正しい批判に従わなくて良い理由はない」
> で自分に対しては「癖になってるから従わなくても良い」ってのは明らかに不
> 公平だよね。

そんな主張は誰もしてません。

> =====

>> 「自分の行為」の評価が「他人の行為を批判すること」に関係ないから、その
>> 批判が通用するんです。
>> 逆に言えば、「正しい批判をする」ということが「自分の行為」に対する免罪
>> 符にはならない。

> それは当事者の両方に同様に言える事ですから、全然ループの否定になってな
> いんですけど…。

そのときの問題点は「他人の批判に耳を貸さないこと」ですね。
自分を棚上げにしようがしまいが関係ない。

>> 念のために補足すると、「自分の行為を棚上げにしてでも他人の行為を批判す
>> る」というので「通用する」のは「批判」です。「自分の行為を棚上げにする
>> こと」ではありません。

> で、ある条件下にある人が批判という行為を行えば自動的にその結果は自己棚
> 上げになり、批判しなければ自己棚上げにならないわけです。この場合、批判
> と自己棚上げは切り離しようもないことです。自己棚上げという行為があるわ
> けではないのですから。

「自己棚上げ」という行為がないのに、「行為の評価」として自己棚上げを批
判するからおかしなことになるんです。

あと、「批判しなければ自己棚上げにならない」というのも一度否定したはず
ですね。
批判しようがしまいが、自分の行為に問題点に関して解決を先延しにしてるこ
とには違いないんで、「棚上げ」でしょ?
それで迷惑行為を続けてれば、他者を批判するしないにかかわらず、悪いわけ
です。
批判を巻き添えにする理由はないよね?

> =====

>>> ただ、公平性とは別の所で問題が生じているわけですが…。
>> 
>> その問題は、具体的に、何を対象にした、どのような問題でしょう?
>> 少なくとも、個々の行為の評価ではない所にある問題じゃないかと思いますが。

> そうですね。そしてその事実が示すのは「批判としては正しいんだから文句を
> 言われる筋合いはない」という主張が誤りであることでしょう。

誰かそんな主張をしてるんですか?
私の主張は、「批判として正しいから、批判という一つの行為の評価としては
正しい」ということ。
他の面の議論なんて全然してません。

で、もし個々の行為の評価でない問題を扱いたいのなら、まず、

>> その問題は、具体的に、何を対象にした、どのような問題でしょう?

に答えてくれないと、話が始まりません。

> =====

> KGK氏の主張に基づけば「俺様は癖になってるんだから仕方ないだろ。そのう
> ち直すよ。スパスパ」なんてのまで許容せざるを得ないわけですが、

何故でしょう?
wacky氏には、それが癖を直す努力をしてるように見えるんですか?

普通に考えて、癖のやっかいなところは、無意識のうちにその行動をしてると
ころにあります。
だから、指摘された時点でやめないってことは「癖だから」という問題ではな
いってことでしょ?
それは、直す努力をしてないか、依存症かのどちらかでしょうね。

直す努力をしてないのなら、許容要素に数えられないし、依存症なら専門家に
見てもらえってことになります。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK