! "<401a912b$1$19833$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sat, 31 Jan 2004 02:15:25 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bvd7sm$thn$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 一体、どこが「スタイル」なんでしょう?

> それは「スタイル」に持ち込んだ人に言って欲しいな。^_^;

人のせいにしないでください。
私がfj.soc.miscに振ったのをfj.news.styleに戻したのはwacky氏です。
自分の行動には自分で責任を持ってください。

> 取り敢えず、この話が本来戻るべき所へ一足先に戻しておきましょう。

そういう変態的なグループの選択をしないように。

>> どんどんサイズが増えるのは、論者の一人が、一つ一つの議論に結着をつけず
>> に、別の話題を持ち出すからですね。

> 普通、別の話題だと思った人がスレッドを別けたりするんじゃないですか?

わずか一往復で論点がずれまくるのに、分けようがないですね。
# 分けたら分けたで、また混ぜようとするし。

> 本論に無関係であれば無視したって良いわけだし、何も一言一句毎に*言い返
> す*必要はないでしょう。

もちろん、無視してもいいわけですが、本論に戻す努力をしないと、戻りそう
にないですから。

>> で、省略された部分に、wacky氏流の「絶対的に正しい」という評価方法に対
>> する質問があります。

> #またしても「どのような何が」については触れないのですね。

お得意の「見えない」ですか。
# 自分がしょっちゅうやるから、他人のもそう見えるんだろうなあ。

もちろん、何度も言ってるように、

<3fa3b691$0$19836$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| 「する事が絶対的に正しい」は   x + y > 0 となるでしょ。

に対する、

<boil1f$avm$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: まあ、wacky氏的には、酷い状況をわずかばかり改善することは「絶対的に正
: しい行為」じゃないのかもしれませんが、普通は、「行為」の評価としては
: 「絶対的に正しい」というよね。
: 
: 世の中が貧困にあえいでるときに、わずかばかりの寄付をすることは、wacky
: 氏的には「絶対的に正しい」ことじゃないんだ。
: 
: 2点取られたピッチャーがソロホームランを打つことも「絶対的に正しい」こ
: とじゃないんだ。
: 
: まあ、そう評価するのは勝手ですが、わずかばかりの寄付をすることや、ホー
: ムランを打つことを「不当」だと評価するのは、明らかに間違ってるよね。

とか、

<bq9uua$n2u$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: もう一つ書くと、
: >>> 「する事が絶対的に正しい」は   x + y > 0 となるでしょ。
: ってことだったら、非常に良い状況の中で多少の悪事を働くことは「する事が
: 絶対的に正しい」ということになりますが、そういう評価ですか?

とか、

<bs130i$v43$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: さらに、そういう定義で「絶対的に正しい」と評価するためには、現在の状況
: の絶対的な評価が不可欠になります。そうするためには、状況の評価に対する
: 絶対的な基準が必要になります。
: それはどんなものでしょうか?

とかのことですね。

これらが、wacky氏の言うところの「する事が絶対的に正しい」の解説として
正しいものになってるのかどうか、また、間違ってるのならどこがどう間違っ
ているのかを解説してくれないと、そういうものだとして捉えられるでしょう。

# まあ、今回も、まともには答えないだろうなあ。

>> これは、wacky氏流の「行為の評価」のスキームを作る上で根幹をなすべく部
>> 分のはずですが、

> #と勝手に決め付けられてもなぁ…

「行為の評価」をするにあたって、「相対的評価じゃ無意味だから絶対的評価
をするべし」ってのがwacky氏の主張なわけでしょ?
で、その絶対的評価は、

<3fa3b691$0$19836$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| 「する事が絶対的に正しい」は   x + y > 0 となるでしょ。

という主張なんだよね?

それをベースに「行為の評価」のスキームを作るんじゃなかったら、何をベー
スにするのよ。
その「絶対的に正しい」ってのは、言ってみただけ?
それならそれで、何をどのような評価をしてどういう基準に達したら「正しい
評価」になるのか、ちゃんと主張しないと、根っこのない主張にしかならない
でしょ?

そういう、基本的なところから評価を導出しないから、「あらかじめ結果を決
めておいて、それに合う前提を選ぶ」というふうに見えてるってのは理解して
る?

> =====

>>>> もし「乱数発生器の目的」のことであれば、私はそんなものは扱っていません。
>> 
>>> 「乱数発生器の目的」でも状況次第で通じないこともなさそうですが、正確に
>>> は「乱数発生器によって乱数を発生させる目的」でしょうね。設問から具体的
>>> に分かる範囲では「-0.9〜0.1の範囲で一様乱数を発生すること」といったと
>>> ころでしょう。
>> 
>> 本来の話題でそれに対応するのは、「ある人がさまざまな行動をするトータル
>> の目的」あたりですね。
>> 私はそんなものは扱ってません。

> もうワケワカランです。
> 何でたかが乱数の発生が「人生の目的」とか「トータルの目的」とかになっ
> ちゃうんでしょうか?

個々の乱数の値を個々の行為の比喩として使ってるからです。

>>> で、問題は…というか詭弁は、本来の目的が「-0.9〜0.1の範囲の値」である
>>> にもかかわらず「負の値を発生する」目的が存在するかのように摩り替えてい
>>> る点にあるわけです。
>> 
>> そうそう。
>> まさにその通りのことをwacky氏がしてたという指摘です。

> 乱数の喩においてそれを行っているのは明らかにKGK氏でしょう。

そりゃ、wacky氏の論法を再現したんですから。

> まあ、具体的にキチンと説明できるというのなら、どうぞ…。

行為の評価を論じてるときに、

<3fa3b691$0$19836$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| 極簡単に答えるのなら「警察官の数が足りないからといって犯罪者に代行して
| もらおうとは思いません」ってことですね。

なんてことを持ち出すものだから、「それは個々の行為の評価じゃないでしょ」っ
てのを比喩を使って説明したのが乱数云々ですね。
だから、乱数の値(個々の行為)の評価と乱数発生器(行為者)の傾向が別物だっ
てのはあたりまえで、その別物を混同して表現してるよって指摘なわけ。

で、結局、個々の行為の評価じゃなかったんでしょ?
それが理解できれば、この比喩の役目は終わり。

> =====

>>>> これから行なう行為の起点としては関係ありますが、それ以外の関係はありま
>>>> せん。
>> 
>>> それだけ関係ありゃあ充分じゃん。
>> 
>> 何が充分なんでしょう?

> それは明らかに行為の行われた状況であって、状況は考慮せにゃならんとKGK
> 氏自身も述べておりましたよね。だから、それで充分でしょ。

何が充分なんでしょう?
行為の起点としてしか関係ないってことは、行為の起点としてしか考慮に入っ
てこないということで、無制限に評価に混ぜこむことを正当化するものではあ
りません。

> =====

>>> 「バケツに水を汲んで火に掛ける→消火」というだけの情報で一意に評価を決
>>> することは不可能ですね。KGK氏は「火事の火である」という情報は取り入れ
>>> て「放火した」という情報は無視するという*恣意的な情報の選択*を行ってい
>>> るに過ぎないと思います。
>> 
>> いいえ。どちらも無視せずに取り入れてます。

> #じゃあそれは「消火という行為そのもの」の評価とは言えんわな。

いいえ。
どちらも、消火という行為が行なわれた状況として取り入れてるだけですから、
ちゃんと消火の評価になっています。

>> この差は、
>> ・「火事の火である」という情報は、「消火」という目的の効果の一つが「財
>> 産価値の減少を食い止める」と想定されることを明らかにする。
>> ・「自分で放火した」という情報は、「消火」という目的の効果の一つが「よ
>> い行為によって世間の注目を浴びる」と想定されることを推定させる。
>> というところにあります。
>> 行為の正しさの評価において、普通、「財産価値の減少を食い止める」に比べ
>> れば、注目を浴びるかどうかなんて大したことじゃないでしょう。

> その「目的の効果」とかいう新たな用語がまた詭弁臭いですよ。^_^;
> その「財産価値の減少を食い止める」ってのは「目的の効果」というよりは
> 「財産価値の減少を食い止めた」という*結果から推測される目的*に過ぎな
> いでしょう。

いいえ。目的の効果は目的そのものではありません。

> それは「行為の目的が確かに*それ*である」ことをなんら保証す
> るものではありませんね。

もちろん、目的の効果が目的だと主張してるわけではありません。

> だ・か・ら、
> 「自分で放火した」という情報に直面した時、最早「財産価値の減少を食い止
> める」が「目的の効果」の地位に留まり続ける事は不可能です。

何故でしょう?
消火にそのような効果があるからこそ、「よい行為によって世間の注目を浴び
る」という目的を達成するための手段の一つに選ばれたんですよね?

> 「世間の注目を浴びる」をより確からしい「目的の効果」であると認めた時点
> で、普通の人ならば「財産価値の減少を食い止める」ってのは副次的な結果に
> 過ぎないことに気づくのではないでしょうか。

いいえ。
たまたまそうなったわけではなく、「財産価値の減少を食い止める」という効
果があるからこそ、「よい行為によって世間の注目を浴びる」という目的の達
成に役立つのであって、それがなければ、そもそも消火が手段として選ばれな
かったはずです。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK