In article <bpn9r4$j88$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>>  続いて、「はい」の場合、別に私はその点を矛盾しているな
>> どとは言っていません。願望以外の何者かがあればそれを述べ
>> るべきだと言っているのです。
>>  それができなければ何者かがあるというの単なる嘘ですから
>> 「願望のみであることが明確」になりますし、できれば論拠に
>> 基づく議論が可能となります。
>
>反応する前は論拠の有無さえはっきりさせてない状態であったっものが、スト
>レートな返答では、あいかわらず論拠の有無をはっきりさせてない状態のまま
>です。
>しかも、論拠なり論拠の有無なりを述べるように明示的に指示されたわけでは
>ありません。
>特に何かが進展しているようには見えませんが。

 見ないのは自由なのですが、本人から自白が取れたということ
は、進展です。願望であることは明示され、それ以外の要素があ
ることは不明ということは、願望のみであることの蓋然性が多い
に高まるということなのですから。

>>> 読みにくいレポートに採点の価値がないのと同じことで、どんなに正しいこと
>>> を書いても理解されなければ無駄です。
>
>>  まず第一に、採点されるレポートと NetNews の記事は書き
>> 手の読み手に対するスタンスが違います。
>>  レポートは、読んでもらわなければ話になりませんから、
>> 読んで理解してもらうことを考えます。しかも、読み手はか
>> なり特定少数となります。他方、NetNews の記事は読みたい
>> 人が読むものであり、不特定多数です。
>
>>  その点を無視したアナロジーですから、これは意味があり
>> ませんね。
>
>netnews の記事であっても、読者を想定して、その読者に理解されるように書
>くものです。
>実際に理解されるためには、単に理解可能なだけでは不充分で、理解しようと
>する意欲がでる程度には容易に理解できる必要があります。
># 理解しようとするモチベーションはレポートの場合よりさらに低いのが普通

 アナロジーに意味が無いことを認めているなら、もはやこんな
話はどうでもいい話になります。一般論すぎて議論の対象ではあ
りません。

 認めていないなら、その間は意味のある発言にはなりませんか
ら、早目に放棄しましょう。

 どちらなのでしょうね。

>>  むりやり繋げてみれば無意味なことがわかりますよ。つま
>> り、記事を馬鹿が採点したところで、そんなスコアには何の
>> 意味も無いということです。
>
>馬鹿が採点する話など誰もしてません。

 残念ながら、KOSAKA 氏の記述はそれをしていることを意味す
るのです。
 そのつもりでないとしたら、それは記述が不適切だったという
ことですね。

 まず、KOSAKA 氏は、「読み手」の話をしています。
 そして、KOSAKA氏は「書き手」として私のことを、さらにシー
ンとして私(頼光)が馬鹿の記事にフォローを付けているものを
扱っており、その主張のスタンスは、「馬鹿が読むことを想定す
べし」というものです。
 その上でのレポートの話です。この流れなら、「読む」主体は
馬鹿を主として想定していると、読む側としては捉えるのが正し
い日本読解というものです。

 従って、KOSAKA 氏の「つもり」がどうあれ、日本語として読ん
だとき、KOSAKA 氏のレポートのアナロジーは、採点者として「馬
鹿」を主として想定した話になっています。

 その点を、自覚しましょう。

 まあ、こういう発言をしたということは、違う「つもり」だっ
たということでしょう。となると、スコーピングに問題がありま
すので、明確にして下さい。

>>>>  が、第二項の「推測」は、私のスタンスでは無意味である
>>>> ことは、自明でしょう。馬鹿本人が何かを主張したいのだと
>>>> しても、馬鹿の言からそれを正しく汲み取ることはできない
>>>> というのが馬鹿の定義です。従って、そんな推測は意味の無
>>>> い話です。
>>>>  そんな推測をすることは、私の妄想の表出に他なりません
>>>> から、そんな真似を議論の場でするのは、まさに馬鹿な行為
>>>> です。
>>>>
>>> 日本語として言葉通りに理解できる範囲で主張を理解すれば、妄想にはなりま
>>> せん。
>>> その主張が馬鹿本人の意図と違ったところで、それはその馬鹿の都合であって、
>>> こちらには何の関係もありません。
>
>>  はて。
>>  その意味であれば、私が普段していることと全く変わりま
>> せんが、私がそうしていないと言いたいのでしょうか。
>
>何故そのような推測をするんでしょうか?
>ここは、「対話可能」というのがどういうことかを説明してる部分であって、
>頼光さんが実践してるかどうかなど、全く関係ありませんが。

 その疑問が出てくるということは、そもそもなんの関係も無い
話を持ち出していたということですね。そういう真似は、止めま
しょう。

 私のスタンスについて私が述べていることを引用しての話なの
ですから、その文脈を踏まえれば、この「説明」が出てくる理由
が私の行動に対する批判であると読解するのが、最も文脈に沿っ
た読解というものです。

 それと違う話をしているつもりだとしたら、KOSAKA 氏の引用
は不適切です。

>まあ、こういう反応は示唆的ですね。
>日頃、文脈に依存した文章をよく書く頼光さんが、引用した部分から読み取れ
>る程度の文脈を取り損ねたわけですから。
>自分の文章の意味を他人に理解させるってことは、それほど容易なことではな
>いってことを示しています。

 意味不明な仄めかしは止めましょう。

 上述の通り、記述者の意図が文脈に沿った読解と異なるのであ
れば、当然読解する側の理解はその「意図」と違ったものになり
ます。この場合、問題は記述者にあるのであって、読解者の問題
ではありません。

 なお、それも含め、「容易なことではない」のは当たり前の話
で、誰もそれを否定などしないでしょう。

>>> そこだけ切り出しても通用するように書くってのが、馬鹿にも理解できそうな
>>> 文章のこつです。
>
>>  そうなのかもしれませんが、私は馬鹿を対象読者にして記
>> 事を書いたことはありませんし、今後もそのつもりはありま
>> せん。
>
>「馬鹿にも理解できそうな」というのは「普通に人には容易に分かる」ってこ
>とです。

 両者、私は同じ意味には使いません。
 そもそも、馬鹿が何かを理解することなど、私は期待しません。

 従って、「ってことです」ということであれば、「そうなのか
もしれませんが」は撤回します。そんな「こつ」など、存在し得
ないのですから。
 そして、「今後もそのつもりはありません」は、変わりません。

>>>>> 何度も明示的に否定するよりは、一般読者に向けたメッセージだという解釈を
>>>>> されやすい表現を選んだ方がコストがかからないでしょう。
>>> 
>>>>  それは、KOSAKA 氏の感性ですね。
>>>>  私はそうは感じていないということです。
>>> 
>>> 感性の問題ではありません。
>>> 誤解されにくい文章を書くための当然のタクティクスです。
>
>>  いえ、感性の問題です。
>
>>  この場合のコストはお金ではなく自分の労力ですが、どの
>> ような労力に対して負担感を感じ、どのような労力い対して
>> はさして負担感を感じないかというのは、感性です。
>
>コメント文に頼って分かりにくい変数名をつけるのは、悪いプログラミングス
>タイルです。
>コメント文が足らなければ分かりにくいプログラムになるし、コメント文を多
>用すれば、重要なコメントが「薄まる」からです。
>
>同様に、他での解説に頼って個々の表現が分かりにくいのは、悪い文章スタイ
>ルです。

 何の反論にもなっていません。従って、感性の問題であると
いう結論は、揺るぎません。

 プログラミングのコメンテーションと文章記述とは、違う話
です。成立しない比喩で何かを論証したような気になるのは、
止めましょう。

 コメント文は、何に相当するのか。
 変数名は、何に相当するのか。
 プログラミングスタイルは、何に相当するのか。
 プログラムは、何に相当するのか。
 コメント文の多用とは、何に相当するのか。

 こういうことをちゃんと考えれば、比喩が成立しないことが分
かるでしょう。そもそも、比喩の世界で何か言えた雰囲気を醸し
たからといって、元の世界にその言えたっぽいことを戻せるかと
いうと、それ自体が議論になりますから、論法としてはかなり下
の部類です。

>>> 事例の蓄積なんてのが馬鹿に通用するはずもありませんし、前例を見てない読
>>> 者にも無駄です。
>>> 単独でも誤解されにくい表現を選んでおけば、事例の蓄積に頼らずとも誤解さ
>>> れにくいでしょう。
>>> さらに、ときどき解説すれば、蓄積によってより誤解されにくくなる。
>
>>  対象を「馬鹿」としていると、私の文章を正しく理解でき
>> ません。そこを改めてください。私は馬鹿を対象読者にして
>> 記事を書いたことはありませんし、今後もそのつもりはあり
>> ません。
>
>前例を見てない読者も対象にしないのでしょうか?

 しません。

 その人は、じきに見るようになるでしょう。そうなれば、前例
を見てない読者ではなくなります。

 また、fj の歩き方などにもある話ですが、特定の NewsGroup
に関心を抱いたときは、しばらくその NewsGroup を眺めていたり、
過去の記事を読んだりすることが期待されています。これは別に
NewsGroup に限らず一般的なコミュニティに興味を抱いたときの
行動として期待されるものですから、それができる人なら問題は
ありません。

 ちなみに、それをしないのが、馬鹿です。
 そして、私は馬鹿を読者として対象にしないということは、何
度も述べた通りです。

>>>>> # なおかつ、それに対する反応で、元記事投稿者がどの程度のことを考えてる
>>>>> # かをある程度推測できる。
>>> 
>>>>  ここは、パーフェクトに感性の問題です。
>>>>  実際問題、私は「ということにしたいのですね」というフ
>>>> レーズへの対応で、元記事投稿者がどの程度のことを考えて
>>>> るかをある程度推測できます。
>>> 
>>> この辺は、「ということにしたいのですね」と同様の効果があると言いたかっ
>>> たんです。
>>> 同様の効果があって、かつ、誤解されにくい。
>
>>  それは、KOSAKA 氏の感性に基づく評価ですね。
>>  私は、そうは感じないということです。
>
>どの部分がどう違うと感じているんでしょう?

 「パーフェクトに」と述べている通り、部分の問題ではありま
せん。どう違うについては、「実際問題〜」のパラグラフで述べ
た通りです。

>>> # でも、相手の反応待ちってことは、やはり、「相手にしてる」と見られても
>>> # しょうがないかな。
>>> # 「相手にしてない」ってのなら、元記事投稿者から主張を引出すような目的
>>> # で記事書いちゃいかんよな。
>
>>  「相手にしてる」の意味が、またずれてきているようですね。
>
>元記事投稿者から主張を引出すような目的で書かれた記事は、議論の範疇には
>入らないという主張でしょうか?

 違います。
 そういう目的で馬鹿の記事にフォローをつけたりは、私はしな
いということです。

>>>>  そもそも、前提である「されやすい」とできる根拠は、ど
>>>> こにあるのでしょう?
>>> 
>>> フォローアップしてるというだけで「相手にしてる」と見られるのは、割と普
>>> 通の話でしょう。
>
>>  ここも、「相手にしてる」の意味が、またずれてきているため
>> の脱線ですね。
>
>いいえ。
>「フォローアップしている」というだけで「議論している」と勘違いされやす
>いという意味です。
>特に、逐語的なフォローアップではなおさらです。

 「いいえ」と言うなら、「相手にしている」の具体的な意味を述
べて下さい。なお、最も尤度の高い「フォローアップしている」で
あれば、ずれています。

 なお、そもそもそんな勘違いをする人は、「議論」というものを
知らない人です。そういう人は、議論の場に出てきても、馬鹿とし
か見られないでしょうね。

>>> フォローアップして、かつ、「相手にしてる」と見られないようにするには、
>>> よほどの工夫が必要です。
>>> 
>>> そして、どれだけ工夫してても、「ということにしたいのですね」などの元記
>>> 事投稿者への確認と思われる表現があれば、「本音はそっちか」と思われてし
>>> まうわけですね。
>
>>  「思われてしまう」としても、そこには別に何の問題も無いの
>> です。思うのは自由なのですから、それは私の感知するところで
>> はありません。
>
>そのように「思われてしまう」ということは、ちゃんとは理解されていないっ
>てことですね。

 「理解」という言葉を具体的にどのような意味で使っているのか
は不明ですから答えようがありませんが、それがなんであろうと、
私の感知する所ではありません。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
 宗教学、歴史学、社会学、情報工学