Re: 馬鹿制御(Re:実名原則は崩れてます。)
In article <boibji$7ko$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>> 仮にそういう答えがあったら、そして共に事例があるので
>> すが、進展を意味します。
>
>> 「いいえ」でも「私の願望など関係ありません」でも、願
>> 望のみでないと主張しているわけです。
>
>「願望のみでない」という表現だと願望も含まれてるように見えますが、どち
>らの答えも「願望ではない」というものですね。
そういうことです。
>> であれば、何らかの
>> 裏づけがあることになります。
>
>願望ではないけど、漠然とそうなるだろうと考えていても、同じ答えになりま
>すね。
>つまり、「いいえ」でも「私の願望など関係ありません」でも、裏付けの有無
>さえ明らかにしない答えだということです。
>
>「はい」と答えても同じこと。
>願望であり、かつ、根拠のある主張であるというのは、論理的に矛盾した話で
>はありません。
>
>というわけで、願望であるかどうか聞いても、ストレートに答えられると議論
>の進展が見込めないということになります。
まず、「いいえ」の場合、KOSAKS 氏が願望以外に挙げられた
ものは「漠然とそうなるだろう」であるか「裏づけの有無すら
明らかにしない」話ですね。
これは、議論においては「願望だけ」と変わりません。
結論として、それは「願望だけ」です。
この場合、「願望のみであることが明確」になります。
続いて、「はい」の場合、別に私はその点を矛盾しているな
どとは言っていません。願望以外の何者かがあればそれを述べ
るべきだと言っているのです。
それができなければ何者かがあるというの単なる嘘ですから
「願望のみであることが明確」になりますし、できれば論拠に
基づく議論が可能となります。
以上から、展開するという結論になりますね。
つまり、「というわけで」の前後が繋がっていません。
>>> 実は、こうしたことの副産物として、「普通の人にも分かりやすい議論になる」
>>> という効果があります。普通の人がよく考えれば分かるという程度ではなく、
>>> 普通の人が一目見ればほとんど分かるような議論です。
>
>> これはまた、価値観の問題ですね。
>
>> 私は、よく考えない人物には、議論には参加して欲しくあ
>> りません。従って、その「副産物」に、私はさしたる価値を
>> 感じません。
>
>読みにくいレポートに採点の価値がないのと同じことで、どんなに正しいこと
>を書いても理解されなければ無駄です。
まず第一に、採点されるレポートと NetNews の記事は書き
手の読み手に対するスタンスが違います。
レポートは、読んでもらわなければ話になりませんから、
読んで理解してもらうことを考えます。しかも、読み手はか
なり特定少数となります。他方、NetNews の記事は読みたい
人が読むものであり、不特定多数です。
その点を無視したアナロジーですから、これは意味があり
ませんね。
むりやり繋げてみれば無意味なことがわかりますよ。つま
り、記事を馬鹿が採点したところで、そんなスコアには何の
意味も無いということです。
>>> さらに、議論の演習にもなりますし、問題解決の演習にもなります。特に、質
>>> 問の選択は、質問の答を得ることよりも問題解決にとって重要なので、最近は
>>> その辺を頭の片隅に置いて議論するようにしてます。
>
>> 私はそれほど親切な人間ではありませんから、自分でそれ
>> をする気にはなりませんね。むろん、KOSAKA 氏が実施する
>> のは親切なことですばらしいとは思いますが。
>
>この部分は親切と言われる筋合はないですね。
>自分のスキルアップに役立つと言ってるんですから。
>
>研究者ならみんな経験してるだろうし、そうでない人も経験してる人は多いと
>思いますが、
>自分の主張が自分自身一番よく理解できるのは、レポートや論文など他人に説
>明する形にまとめたときです。
>それも、もの分かりの悪い読者を想定して書くことで、論理展開の穴をつぶす
>ことができます。
>fjでの議論は、そのための演習として悪くない題材ですね。
そういう意図でしたか。であれば、誤解していました。
が、私に関して言えば、普通の人が普通に読解できるレベ
ルで記事を書くまででリミットですね。それ以上に練習や訓
練をする余裕は、実の所あまりありません。
結果として同じ話ですが、KOSAKA 氏が自主トレとしてそ
れを実施するのは向上心と具体的な実践があってすばらしい
とは思いますが、私はそれをする気は、現状、ありません。
>>> 対話可能ってのは、
>>> ・日本語として解釈可能である
>>> ・論点の構成もしくは保持を目指してると推測できる
>>> というぐらいのことを言ってます。
>>> 純粋な情緒モードではなく、かつ、何か主張しようとする姿勢の見られる文章
>>> のことですね。
>>>
>>> その記事を題材に何か述べようとするのなら、その程度のことは判断しとかな
>>> いと無理な場合が多いでしょう。
>
>> が、第二項の「推測」は、私のスタンスでは無意味である
>> ことは、自明でしょう。馬鹿本人が何かを主張したいのだと
>> しても、馬鹿の言からそれを正しく汲み取ることはできない
>> というのが馬鹿の定義です。従って、そんな推測は意味の無
>> い話です。
>> そんな推測をすることは、私の妄想の表出に他なりません
>> から、そんな真似を議論の場でするのは、まさに馬鹿な行為
>> です。
>
>日本語として言葉通りに理解できる範囲で主張を理解すれば、妄想にはなりま
>せん。
>その主張が馬鹿本人の意図と違ったところで、それはその馬鹿の都合であって、
>こちらには何の関係もありません。
はて。
その意味であれば、私が普段していることと全く変わりま
せんが、私がそうしていないと言いたいのでしょうか。
その場合、具体的にそう思う箇所を引用提示してみて下さ
い。
>>> 可能性の問題ではなく尤度の問題とすれば、大抵の場合、「ということにした
>>> いのですね」というのは元記事投稿者に対する確認の意味に解釈されるのが普
>>> 通でしょう。
>
>> そこだけ切り出して論じても仕方ないでしょう。
>> 「ときおり明示的にそれを否定」とセットで読解すること
>> が大切です。
>
>そこだけ切り出しても通用するように書くってのが、馬鹿にも理解できそうな
>文章のこつです。
そうなのかもしれませんが、私は馬鹿を対象読者にして記
事を書いたことはありませんし、今後もそのつもりはありま
せん。
>>> 何度も明示的に否定するよりは、一般読者に向けたメッセージだという解釈を
>>> されやすい表現を選んだ方がコストがかからないでしょう。
>
>> それは、KOSAKA 氏の感性ですね。
>> 私はそうは感じていないということです。
>
>感性の問題ではありません。
>誤解されにくい文章を書くための当然のタクティクスです。
いえ、感性の問題です。
この場合のコストはお金ではなく自分の労力ですが、どの
ような労力に対して負担感を感じ、どのような労力い対して
はさして負担感を感じないかというのは、感性です。
>>> 私なら、「ということにしたいようです」とか「ということにしたいのだろう
>>> なあ」とか「ということにしたいらしい」とか、その手の表現を選ぶでしょう
>>> ね。そういう表現だと元記事投稿者への確認とはとられにくい。
>
>> これは、事例の蓄積というものの効果を無視した議論です
>> ね。もしくは、事例の蓄積というものの価値を KOSAKA 氏が
>> 認めていないか。
>
>事例の蓄積なんてのが馬鹿に通用するはずもありませんし、前例を見てない読
>者にも無駄です。
>単独でも誤解されにくい表現を選んでおけば、事例の蓄積に頼らずとも誤解さ
>れにくいでしょう。
>さらに、ときどき解説すれば、蓄積によってより誤解されにくくなる。
対象を「馬鹿」としていると、私の文章を正しく理解でき
ません。そこを改めてください。私は馬鹿を対象読者にして
記事を書いたことはありませんし、今後もそのつもりはあり
ません。
>>> # なおかつ、それに対する反応で、元記事投稿者がどの程度のことを考えてる
>>> # かをある程度推測できる。
>
>> ここは、パーフェクトに感性の問題です。
>> 実際問題、私は「ということにしたいのですね」というフ
>> レーズへの対応で、元記事投稿者がどの程度のことを考えて
>> るかをある程度推測できます。
>
>この辺は、「ということにしたいのですね」と同様の効果があると言いたかっ
>たんです。
>同様の効果があって、かつ、誤解されにくい。
それは、KOSAKA 氏の感性に基づく評価ですね。
私は、そうは感じないということです。
># でも、相手の反応待ちってことは、やはり、「相手にしてる」と見られても
># しょうがないかな。
># 「相手にしてない」ってのなら、元記事投稿者から主張を引出すような目的
># で記事書いちゃいかんよな。
「相手にしてる」の意味が、またずれてきているようですね。
>>> 頼光さんの意図に反して「相手にする」と元記事投稿者や一般読者に解釈され
>>> やすいのは、意図を最もよく表わす表現になってないからじゃないですか?
>
>> 残念ながら、違います。
>
>> そもそも、前提である「されやすい」とできる根拠は、ど
>> こにあるのでしょう?
>
>フォローアップしてるというだけで「相手にしてる」と見られるのは、割と普
>通の話でしょう。
ここも、「相手にしてる」の意味が、またずれてきているため
の脱線ですね。
もっとも、そのずれた意味においてなら、別に「一般読者に解
釈」されることには問題ありません。
>フォローアップして、かつ、「相手にしてる」と見られないようにするには、
>よほどの工夫が必要です。
>
>そして、どれだけ工夫してても、「ということにしたいのですね」などの元記
>事投稿者への確認と思われる表現があれば、「本音はそっちか」と思われてし
>まうわけですね。
「思われてしまう」としても、そこには別に何の問題も無いの
です。思うのは自由なのですから、それは私の感知するところで
はありません。
ただ、そのような思い込みに基づいて何か発言すれば、当たり
前でありつつも気の毒なことではありますが、たいがい誤った主
張になりますね。
--
頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
宗教学、歴史学、社会学、情報工学
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735