In article <bm8kg9$vlk$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>, KGK == Keiji KOSAKA wrote:
>>  その目的に則って、どのような対策を考えるとどう有効なのでしょう。
>
>まあ、いろいろあって、ちゃんと整理はしてないんですが、1に関しては、
>a. 挑発にのらない
>b. 感情的な書き方をしない
>というのは情緒モードに移行しにくくなるようにってので、あとは、
>c. 普通の馬鹿なら理解できそうなくらいまで説明をリダクションする
>d. 自分の主張を解説したくなるように誘導する
>なんてのが、対話継続のコツ。
>e. 相手の頭に上った血が下がる程度に間隔を置く
>なんてのも情緒モード対策として有効かもしれませんが、私の場合は単なる自
>分の都合。
>
>2の方は、
>A. たとえ形式的にでも対話モードにならないように、純粋にサンプルとして
>   扱う
>ってのが有効かも。

 まあ、可能性はあるかも、というレベルで言いたいことは理解
しました。

# 可能性は0ではないでしょうが、私自身が労力をかけるほどに
# は、可能性の量を感じないのはありますが。

>>>>  そんなわけで、馬鹿の行う「まともな発言」とは、最近のホッ
>>>> トな馬鹿の例で言えば tom 氏や KENTAROU のような、錯乱した
>>>> 発言や無根拠な悪口や狂ったクロスポスト・マルチポストを
>>>> 「しない」、そういう発言です。
>>>>  極めて、消極的な意味です。
>>> 
>>> 「少なくとも一時的には対話可能」といったあたりですか?
>
>>  そう表現することは可能でしょうけれど、「一時的」の検出コ
>> ストを考えると、あまり有用な定義ではないように感じます。
>
>「少なくとも一時的」ってのは「一時的」かどうかを検出する必要はありませ
>ん。
>ある記事のある部分が対話可能であれば充分。

 その、「ある部分」を他と分けるのは、コストのかかる話です
よ。それがどの程度のコストか分かりませんが、無意識にできる
レベルでは無いと思いますし、それであれば私はの手間を惜しい
と思います。

 KOSAKA 氏はそうではないということでしょうから、この辺も
上記フォロー部と共に純粋な「価値観の差」でしょうね。

>>  私は、馬鹿の記事に対して a を継続的に行うことはありますが、
>> 継続するのは主として私自身の思考の連続性が理由であって、馬鹿
>> を「相手にする」というコンセプトによるものではありません。
>
>が、形式的に対話モードになってると、「相手にする」と見られても不思議じゃ
>ないでしょう。

 形式的には不思議ではないでしょうが、そう見ないことも可能
です。具体的には、私が決して二人称を使わないとか、論評的な
論調・文体からして、「相手にする」という解釈の方がむしろ不
利ですね。
 「ということにしたいのですね」ですら、日本語文法的にはフォ
ロー元の記事の著者に向けたメッセージとして受取ることしか選
択肢が無いと思ってはいけません。

 更に、私はときおり明示的にそれを否定しています。今回のス
レッドもその一環です。

 従って、「不思議じゃない」というレベルの主張であればそれ
が可能であることは首肯しますが、各論としての読解においての
際に「相手にする」は、正しくありません。

>だから、私が冒頭の2を実行するときには、元記事投稿者に向かって語りかけ
>る形式を一切排除した表現にするようにしてます。

 実の所、私もそうしているわけです。

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頼光 mailto:raikou@mug.biglobe.ne.jp
関心・専門分野:
 宗教学、歴史学、社会学、情報工学