! "<3eeb3e96$2$252$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 15 Jun 2003 00:27:16 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> ま、いいや。
> 相対的だとして、で、だから何?
> #相対的なものは全て誤りですか?

だから、最初から説明してるじゃない。

<ba57ie$jgd$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
: 1) 迷惑のレベルを社会的に許容されるかどうかの二値に分ける。
: ってことをした上で、
: 2) 批判者の行為からの相対レベルを問題にする。
: ってことをやってんですか?
:
: 一貫して 1 なら、理解できるし納得もできます。
: # っていうか、私はもともとその立場だし。
: 一貫して 2 なら、納得はできないけど理解はできます。
って。

>>> その理屈では「AB2人の人間について考えている以上は何だろうと相対的評
>>> 価である」でしょう。
>> 
>> いいえ。
>> たとえば「Aのレベルにかかわらず全体の評価が決まる」という場合は相対評
>> 価じゃないですね。

> そりゃ、Aについて考えてないじゃん。^_^;

「考えてない」じゃなくて「考えても同じ」です。
そういう場合がありえないというのでなければ「何であろうと」というのは誤
り。

>>> でも「正当防衛で撃ち殺した」場合には「その行為に到った事情を考慮されて
>>> 当然」なんですよね?
>>> 「女子トイレに潜んでいたので(他の)痴漢を捕まえることができた」のとの違
>>> いはなんですか?
>> 
>> 前者は撃ち殺すことで状況が改善されてますが、後者は痴漢を捕まえることで
>> 状況が改悪されてません。

> 何でそこで「行為の結果に対する評価」が入ってくるんですか?

その「行為の結果」は「行為の目的」そのものです。
行為を評価するのにそういうものを評価せずして何を評価するというのでしょ
う?

> #ちゅ〜か、前者が「改善」で後者が「改悪」な理由も不明。

デフォルトが悪か善かの違いです。
「事情」によってデフォルトから反転するかどうかを見てるわけ。

>> それが成り立つのは、批判と批判者を結びつけて考えたときのみですね。
>> なんでそんなことをするんでしょう?

> 「批判者を結び付ける」というのが具体的に何を意味しているのか皆目ワカラ
> ンです。
> その行為に伴う属性を考慮しているだけですけど?

批判というのは、その批判の内容自体で評価されるのが当たり前です。
議論における基本中の基本ですね。
# 作品は作品の内容自体で評価されるのが当たり前で、作者の評価とは別物だっ
# てのに、やや似ている。

「批判」と「批判者の別の行為」を結びつけるのは、「批判」と「批判者」を
切離してないときのみに可能です。
基本から外れてるわけね。

何でそういうことをするんですか?
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK