KGK == Keiji KOSAKAさんの<bd185p$q5t$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> ま、いいや。
>> 相対的だとして、で、だから何?
>> #相対的なものは全て誤りですか?
>
>だから、最初から説明してるじゃない。
>
><ba57ie$jgd$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
>: 1) 迷惑のレベルを社会的に許容されるかどうかの二値に分ける。
>: ってことをした上で、
>: 2) 批判者の行為からの相対レベルを問題にする。
>: ってことをやってんですか?
>:
>: 一貫して 1 なら、理解できるし納得もできます。
>: # っていうか、私はもともとその立場だし。
>: 一貫して 2 なら、納得はできないけど理解はできます。
>って。

だったら、

wackyの<3ecf6c03$0$3085$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>から
$条件はA・Bそれぞれの行為が独立に「お互い様レベル→社会的に許容される
$レベルの迷惑か否か」だけです。

の時点で「批判者の行為からの相対レベル」でないことは明白じゃない?
それを

KGK == Keiji KOSAKAさんの<bbsa5n$538$4@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
$> というわけで、社会的閾値のどちら側だろうが「A・Bが同じ側にいれば非難
$> は不当」と言っているわけ。「相対レベル」は不要です。
$
$「A・Bが同じ側にいれば」ってのはまさに相対的な評価ですね。

と言った時点で「相対」で表現される意味が変化しているようです。
#で、誤った意味のまま現在にいたっている。


>>>> でも「正当防衛で撃ち殺した」場合には「その行為に到った事情を考慮されて
>>>> 当然」なんですよね?
>>>> 「女子トイレに潜んでいたので(他の)痴漢を捕まえることができた」のとの違
>>>> いはなんですか?
>>> 
>>> 前者は撃ち殺すことで状況が改善されてますが、後者は痴漢を捕まえることで
>>> 状況が改悪されてません。
>
>> 何でそこで「行為の結果に対する評価」が入ってくるんですか?
>
>その「行為の結果」は「行為の目的」そのものです。

#「結果」と「動機」を混同してはイカンな。

>> #ちゅ〜か、前者が「改善」で後者が「改悪」な理由も不明。
>
>デフォルトが悪か善かの違いです。

つまり、「撃ち殺す」が悪で「痴漢を捕まえる」が善なわけですな。

>「事情」によってデフォルトから反転するかどうかを見てるわけ。

そこが分からない。何で反転しなきゃイカンのでしょう?
「痴漢を捕まえることで状況が改善された」がダメな理由は何?


>>> それが成り立つのは、批判と批判者を結びつけて考えたときのみですね。
>>> なんでそんなことをするんでしょう?
>
>> 「批判者を結び付ける」というのが具体的に何を意味しているのか皆目ワカラ
>> ンです。
>> その行為に伴う属性を考慮しているだけですけど?
>
>批判というのは、その批判の内容自体で評価されるのが当たり前です。

その内容ってのが「俺は良いんだお前はダメ」なわけだが…。

>「批判」と「批判者の別の行為」を結びつけるのは、「批判」と「批判者」を
>切離してないときのみに可能です。
>基本から外れてるわけね。
>
>何でそういうことをするんですか?

#同じ主張を単に繰り返すだけで進展がないですね。

え〜とだな、^^;
KGK氏の主張から「その行為に到った事情を考慮するのは当然」なわけだよね。
その「事情」が個人的なものであろうと
#たとえば「私が殺されかけている」といった個人的事情であろうと
「行為」と「行為者」を結び付けることにはならんわけだ。
であれば当然、
「その批判者が同様の別の行為を自ら行っている」という「事情」は「批判」
と分かち難い「属性」として考慮される。と言えるわけなんだが…。

-- 
wacky