! "<3ecf6c03$0$3085$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sat, 24 May 2003 21:57:26 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> というわけで、社会的閾値のどちら側だろうが「A・Bが同じ側にいれば非難
> は不当」と言っているわけ。「相対レベル」は不要です。

「A・Bが同じ側にいれば」ってのはまさに相対的な評価ですね。

> じゃあ、「痴漢を捕まえた」という評価は「でも捕まえた場所は女子トイレ
> の中だった」という状況と無関係に称えられるべきでしょうか?

はい。

> #「で、チミはそこで何をやっていたのかね」と言いたくなりません?

それはそれで言っていいことです。

で、その二つをまとめて、一つの評価を下せると考えた理由はなんでしょう?
# 他人が質問に答えないことをさんざん批判したことを棚に上げて、また無視
# するかな? :P

>>>>> 再々度繰り返しますが、
>>>>> 「非難すること」という集合の中に「自己棚上げで非難すること」や「自己
>>>>> を律した上で非難すること」といったサブセットが存在するのであって、
>>>> 
>>>> そういうサブセットに分けて論ずる理由は?
>> 
>>> 当該行為がそのサブセットに属するから。
>> 
>> サブセットに属することだけでは分けて論ずる理由にはなりません。
>> 「鼻糞ほじりながら非難すること」と「鼻糞ほじらずに非難するころ」を分け
>> て論ずるのは普通意味ないですよね。

> 他の記事にも書きましたが、それは単に「何の関係性もない物事を並列に並べ
> ているだけ」です。無意味です。

つまり、

>>> 当該行為がそのサブセットに属するから。

だけでは理由にならないんですよね?
で、他の理由は?

>>> #で、この議論の中で行為Aの存在という事実を無視する意味がありますか?
>> 
>> そもそも、「何故、行為Aの存在を考慮に入れなきゃならんのか?」をずーっと
>> 質問してんですが。

> 最初からそういう設定の話なんですけど。

「存在する」ということと「存在を考慮に入れる」ってことは全然別の話です。
「批判する」という行為の評価に「行為Aの存在」を考慮に入れる理由がなに
かあるのですか?

>>> もちろん、行為Aが存在するという設定の上で議論しているからですよ。
>> 
>> 存在したからといって、考慮に入れなきゃいけないとは限りません。

> 入れなくて良い理由があるならどうぞ。

「批判する」という行為の評価に関係ないから。
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KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
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