湯川@名古屋です。

On 03.6.29 8:33 AM, in article
koabe-929572.08331929062003@news.fu-berlin.de, "ABE Keisuke"
<koabe@mcc.sst.ne.jp> wrote:
> 結局、確率の問題ではなく、確率的に不公平であっても、
> あるいは必ずしも全員が捕まらなくても、説明がつけば
> いいということですよね。等しくなくても、ある程度の
> 範囲を等しいものと考えましょうということではないの
> ですか?

えーと、、、言葉のニュアンスの問題かなとも思うので
なかなか伝えるのは難しいですが、、、

そうですねぇ、、、例えば、さいころを6回振ったとして、
結果はたまたま1が2回、2が2回、4と5が1回出たとします。
その結果をもって1と2が「なんで3とか6は1回も出ないのに
おれらばっかり2回も出るんだ。不公平じゃん」と言って
いるようなもん、と思っていただければ分かってもらえる
かしらん。
確率的には当然1/6づつで公平なわけですが、個々の事例で
みれば当然偏りはあるわけですね。


> ずーっと疑問なのですが、心理学的に説明をしていますが、
> 「不公平だ」という声が本当にただそう主張したいだけか、
> 実際「不公平だ」といわれても仕方がないことなのかという
> 検討って、全然しなくていいものなのですか?

「不公平だ」と言われてもしかたがないことかどうかの検討って、
結局、結果に差が生じた理由の検討そのものってことですよね。

これって、議論のかなり最初のころに指摘があったと思いますが、
例えばわいろとか渡したとかの非合理的な理由で処罰を免れ
たのならそりゃ不公平でしょう、と。
あるいはさっきのさいころの例ですと、1や2が出やすいような
細工がしてあったなら、不公平といわれても仕方がない。

だからそういう理由があるのかどうかという検討は意味をもつと
思いますけど、「あいつは捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」
っていう主張にはそういう理由の検討ってすっぽり抜けていると思うし、
たいていはそんな理由なんかないのでしょう?
もしなんらか本当に非合理的な理由があってのことなら
端的にその理由の方で主張するでしょうから。



> それが、何だかよく分からないけどときどき駐車違反を取り
> 締まっているというのであれば、「なんで自分ばっかりが
> そうなるのだ。不公平だ」という感覚を助長しやすい気が
> します。

でもその「自分ばっかり」ってのが完全に錯覚ですもん。
その人が駐車違反をするのを狙って取り締まりしてるわけじゃ
ないでしょ?