先ず確認したいのは「不文律=慣習法」ではないということ。
次に確認したいのは「実名投稿主義=(fjにおける)不文律」とは限らない。そ
ういう前提は何処にも置かれていないということ。
#少なくともwackyは「そのようなルールはない」と考えています。

ABE Keisukeさんの<koabe-66144A.21383231012005@news01.sakura.ne.jp>から
>Subjectを変えていなかったので、分かりづらかったかも
>しれませんが、私はlawの話をしたいので引き続き
>fj.soc.lawにクロスポストして、Followup-To: も
>fj.soc.lawに。

#う〜ん?law なのかなぁ?

しかし、実名(プラス所属?)投稿が慣習法に値しないことはほぼ明らかだと思
いますが…。
#いや勿論、これは常識的な範囲での判断でしかないけれども。


>In article <41fcc3b2$0$971$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>,
> wacky <wacky@all.at> wrote:
>
>> ABE Keisukeさんの<koabe-3B3723.17434730012005@news01.sakura.ne.jp>から
>> >>   社会の構成員全員による合意がおそらく存在しないからこそ不文律。
>> >
>> >そうか、そもそも不文律において合意の存在を示せ
>> >ということ自体が、愚問なのね。
>> 
>> …
>> 「社会の構成員全員」なんて言っちゃうと「不文律」であろうとなかろうと殆
>> ど存在することはない。と思うけど?
>> #じゃ「成文律」は「社会の構成員全員」の合意を得たのかな?って話。
>
>すると、wackyさんが合意の存在を示せと言った場合は、
>どのような合意を示せばいいのかしら?

正式なもの(例えば投票とか)でなくて良いから「その場の大多数の人間が賛同
している」ような記事、あるいは、「匿名投稿が匿名であるという理由で吊る
し上げられ、大多数がそれに賛同している」ような記事があればよいのではな
いでしょうか。
前者は社会のある程度の範囲での非公式な合意であると言えるし、後者はサン
クションによって合意の存在を間接的に肯定しているでしょう。

#でも、今現在は事実として「匿名投稿が特殊な例外とするには多過ぎるほど
#存在する」ので、過去の非公式な合意を示しても余り意味がないような気が
#するけど…。


>> というか、「からこそ」が意味不明なんだよね。
>> これが「社会の構成員の全員が参加可能な公式な場における合意」という意味
>> であるのなら理解可能だけど(*1)、だとすれば尚更、ABE氏の結論における誤
>> 謬は明らかです。
>> 
>> (*1)
>> その合意が存在したなら成文律だし、何らかのルールであることを前提に「成
>> 文律でない」なら不文律であることは明らかだから。
>> #そもそも、その前提が怪しいんだけど…
>
>ごめんなさい。(*1)部分、よく分からないです。

「社会の構成員の全員が参加可能な公式な場における合意」というのは即ち投
票のような正式な合意手順のことです。それが「過半数でOK」ならば、最悪半
分反対でも「社会の構成員全員による合意」は成立したと言えるわけです。
で、この合意は正式なものですから合意の内容が文書化されればこれ即ち「成
文律」です。
つまり、このように解釈した場合は「社会の構成員全員による合意がおそらく
存在しないからこそ不文律」は単に「成文律でないからこそ不文律」と言って
いるに過ぎないものと読めるわけです。
#「そもそも律(ルール)でない」可能性を無視すれば理屈は合うわけですね。


>wacky説ではどのような合意がなされると、不文律というのが
>成立するのでしょうか? 

wackyは「不文律」を
・成文律ではない
・律=ルール である
と捉えています。
従って、「(広義の)不文律=単なる習慣」はここでは含まれません。

通常、ルールの成立には合意が不可欠です。
道徳に近い基本的事項には合意が存在しない場合があるでしょうが、それは
「合意なんか要らないから」ではなく「合意するまでも無いから」でしょう。
#「老人に席を譲る」といった道徳には実際には譲らない人であっても反対す
#ることは稀でしょう。そのようなものは「いつでも合意できることが分かり
#切っている」から表立った合意が要らないわけです。


>あと、wacky説では慣習法というものを認める余地はありますか?

慣習法は実際に存在します。
単に「実名主義」がそれに当て嵌まらないだけだと思います。

>はっきりと、「これこれについて」合意していたと、文書に
>なった合意が示せるのであれば、「不文律」にはならない
>ような気がするのですが。

「成文律(法)」の求める「文書」とは単なる書き付けではなく正式に権威付け
られた文章であるべきでしょう。

「過去に何らかの合意があったのだ」と示すだけならば、それが客観的に理解
できるような記事(郡)を示すだけで充分だと思います。
#それに不満な人が居れば、その不満な人が反例を出すでしょう。

あるいは「示すまでもなく誰もが極当たり前に肯定している」という事実を指
摘することですが、「実名主義」に関してはこれは不可能でしょう。

-- 
wacky