端的に。

KGK == Keiji KOSAKAさんの<carmnt$sjc$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> どこにどのような「迷惑が生じたことの充分な根拠」が存在すると主張してい
>>>> るのでしょうか?もし仮に、それが真実なら、是非とも具体的に述べるべきだ
>>>> と思いますが?
>>> 
>>> 「迷惑に思った」ということは「迷惑を生じた」ってことでしょ?
>
>> ある個人が「迷惑に思った」ということは個人的かつ主観的な「迷惑が生じ
>> た」ってことです。
>
>はい。そういうことです。

確認1「ある個人が「迷惑に思った」ということは個人的かつ主観的な問題である」

>> この時点で「その迷惑は社会的なものである」とする根拠
>> など何処にもありませんよ。
>
>そんなこと誰も主張してません。

確認2「ある個人が「迷惑に思った」ということ即ち社会的な迷惑ではない」

>> そのような責任の存在自体が疑問であり無根拠です。先ずは「知る責任」の存
>> 在証明から始めるべきでしょう。
>
>どこから分かってないのかなあ?
># 迷惑問題に絞って話をしますが、
>
>1) 行為者は自分の行為で社会的迷惑をかけないという社会的責任がある。
>2) この場合の責任とは、社会的迷惑をかけることが予見可能な行為を行なわ
>   ないということと、実際に社会的迷惑をかけた場合にしかるべき対処をす
>   るということの二段階に分かれる。
>3) よく知られた迷惑問題に該当する行為は、一般に、社会的迷惑をかける可
>   能性が高い。
>4) よって、2の前半部の責任を全うするためには、該当する行為を行なわない
>   か、どのように行なえば社会的迷惑をかけないかの知識を得るかのどちら
>   かである。
>5) そのような意味で、よく知られた迷惑問題に該当する行為を行なう場合に
>   は、「知る責任」が生ずる。
>
>どこまで理解できました?

これらは全て「社会的迷惑であることが前提」の問題ですが、頭書にあるよう
に、KGK氏の主張しているものは「個人的かつ主観的な迷惑」に過ぎません。

以上。

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wacky