KGK == Keiji KOSAKAさんの<c4m6du$qpj$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 先ず、それでは味噌汁=石ころの混入した駄目な味噌汁となってしまい、
>
>それでいいんです。

それじゃあ、「そもそも比喩自体がおかしい」ってことじゃんか。^^;


>この比喩では「味噌汁」は「石ころの混入した味噌汁」しか出てきません。
>よって、断りなしに「味噌汁」と言えば、「石ころの混入した味噌汁」の省略
>と捉えるのが当然でしょう。

それが真実であるのなら、予め述べられるべきことでしょう。
実際に述べられたのは

KGK == Keiji KOSAKAさんの<c3u89v$ile$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
$味噌汁の中に石ころが入っていたら、その味噌汁は駄目な味噌汁です。

であり、「その味噌汁以外は駄目な味噌汁ではない(かもしれない)」ことを示
唆しているものと読み取れます。


>> 次に、豆腐=批判とするのであれば、じゃあ「(自分はポイ捨てしているとい
>> う)自己棚上げな批判」はなんなのさ。
>
>「自己棚上げな批判」というのはwacky氏のスキームでしかでてこないもので
>すから、wacky氏以外に説明できる人はいないでしょう。

#逃げるな逃げるな。^^;
wackyが何を指して「自己棚上げな批判」と表現しているかは既に至極充分に
何度も繰り返し説明しているはずですが。例えば↓以下のように。

>> 「自己棚上げ」とは
>> 1.A氏は煙草をポイ捨てする
>> 2.B氏は空き缶をポイ捨てする
>> 3.B氏は1についてA氏を批判する
>> における「1という行為と2という行為により生じる状況下での3という行為
>> により生じる状況」を表現しているに過ぎません。
>
>3をしなくても「棚に上げてる」ことには変わりはないってのは再三指摘して
>るし、そのたびに同意してると思ったんですが。

そのような同意はしていないと思いますよ。
1と2だけでは自己棚上げにはなりません。少なくとも3を「しようと考え
る」ことが必要となりますね。そして、現在は「しようと思ったけどしなかっ
た」といった細かな事柄を考慮する段階にはありません。


>というわけで、二つばかり疑問がでてきます。

#何度も答えているような気がするんだけど…

>(1) 自分の行為と他人の行為を組み合わせたものを「一つの行為」とみなして
>    るようですが( <406819c0$1$19840$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp> 参
>    照)、その行為の責任者は誰で、目的は何でしょう?

「組み合わせ」という自ら選んだ表現に自らが惑わされているのではないで
しょうか。
「組み合わせ」と表現したからといって、突然2つの行為が並列で対等なもの
になるわけではありません。「3.B氏は1についてA氏を批判する」において
「1.A氏は煙草をポイ捨てする」はB氏による批判が行われた状況に過ぎませ
ん。
#無論、状況に過ぎないとはいっても、行為の評価を左右する要因であること
#に変わりはありませんが。

>(2) 二つのポイ捨てと一つの批判からなる行為なのに、批判のみがクローズアッ
>    プされたネーミングで呼ぶのは何故でしょう?

これは良く分からないな。「批判のみがクローズアップされたネーミングで呼
ぶ」ってのは一体何のことでしょうか?


><c3u89v$ile$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
>: では、その味噌汁の中に入ってる豆腐はどうでしょう?
>: もちろん、その石ころが豆腐にどのような影響を与えたかで違います。
>: 例えば、石ころが何か有毒だったり味に影響したりするような水溶性の成分を
>: 持っていて、それが豆腐に染み込んでいたら、その豆腐は駄目でしょう。
>: しかし、特に水溶性の成分があるわけじゃなく、特に壊れやすいわけじゃない
>: 石ころなら、豆腐に影響を与えないでしょう。その場合は、豆腐は本来の評価
>: と同じ評価が与えられるでしょう?
>
>と最初から述べてるように、「石ころが入っている」ということの影響をちゃ
>んと見てます。

比喩の対応が曖昧で分かり辛いけど、ってことは「(自己棚上げは駄目だけど)
批判することは問題ない」って主張は正しいとは言えないってことだよね。そ
れでいいですか?


>> 「相手に対して何事かを述べ伝える」といった小行為としての「批判(小)」を
>> 味噌汁の具に喩えるのは問題ありません。
>> #「車を走らせる」に対する「アクセルを踏む」のようなもの。
>> しかし、それを評価対象たる大行為としての「批判(大)→味噌汁」と混同する
>> のは間違いです。

>私が、「自分で放火したものであっても、消火するのは問題ないよね」という
>ときの「消火」は、「味噌汁の中の豆腐」のことであって、「味噌汁」のこと
>ではありません。

それじゃあ全然「味噌汁→マッチ・ポンプ」の評価になってないじゃん。

>で、wacky氏流の「自己棚上げの批判」を「批判の一種」として扱うことは、
>「マッチ・ポンプ」を「消火の一種」として扱うのと同じことです。
>ネーミングの不自然さが誘導した間違いですね。

「マッチ・ポンプ」を「消火の一種」として扱うことがどこか間違いですか?
正しく「マッチポンプに相当する状況において消火という行為を行った」わけ
ですけど?
#勿論、別の扱い方をしたって構わんけど、上記の扱い方が誤りだということ
#にはならんよね。
「石ころの混入した味噌汁」を「味噌汁の一種」として扱うことと同様に自然
なことだと思いますよ。


>> つまり、批判というカテゴリの中に「普通の批判」と「駄目な批判」があるわ
>> けで、駄目か否かは例えば「自己棚上げか否か」といった駄目な材料を使って
>> いるか否かで決まるわけですね。
>
>これでは、「自分がポイ捨てをしたことも含めて批判という行為」ということ
>になりますが、普通はそうじゃないですよね。

繰り返しますが「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判という行
為」ですね。
・ある行為の結果は別の行為の状況となりうる
・行為の行われた状況はその行為の評価にかかわる要素である
といったことはKGK氏自身も述べ、認めていることだと思いますよ。

-- 
wacky@「Aの一種」のAと「あるA」のAの意味する所は全く異なる
       混同すれば詭弁となる