引用順は前後します。

KGK == Keiji KOSAKAさんの<c4goel$b2f$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「自己棚上げの批判」と「批判」の関係は「味噌汁と味噌汁の中の豆腐」では
>> ありません。何度も繰り返していますが「自己棚上げの批判を自己棚上げと批
>> 判に分けることは出来ない」ので、全体と部分といった捉え方は誤りです。
>
>これは、比喩の対応を全く誤解しています。
># 下の引用部で、対応関係の違いがよく表われている。
>私の想定してる関係は、
>
>豆腐 : 批判
>石ころ : 自分のポイ捨て
>味噌汁の材料 : 関係する行為(上二つおよび他人のポイ捨て)
>
>というものです。

この時点で既におかしいですよ。

先ず、それでは味噌汁=石ころの混入した駄目な味噌汁となってしまい、
「じゃあ味噌汁って何だ?」です。

次に、豆腐=批判とするのであれば、じゃあ「(自分はポイ捨てしているとい
う)自己棚上げな批判」はなんなのさ。ってことです。それ(自己棚上げな批
判)だって批判の一形態に過ぎないのだから「石ころ入りの味噌汁」ではなく
「石ころ入りの豆腐」でないと意味が通じなくなっちゃうよね。
#というか、以下に述べるように「批判」の意味が二重化されているのでは?

>このような対応でいうと、wacky氏の主張は、「味噌汁」と「味噌汁の中の豆
>腐」は同じものであって、それらを「自己棚上げの批判」と呼んでいることに
>なります。

だから、これは逆だよね。^^;
KGK氏の主張の沿うと、何時の間にか味噌汁が味噌汁の中の豆腐になっちゃう。


>この段階では「自己棚上げ」というものは対応関係には入ってきません。
>なぜなら、wacky氏のいうところの「自己棚上げ」とはどういうものかを解析
>するための比喩なのですから、最初から「自己棚上げ」を入れてしまうわけに
>はいかないからです。

「自己棚上げ」というモノが存在するわけではありません。
「自己棚上げ」とは
1.A氏は煙草をポイ捨てする
2.B氏は空き缶をポイ捨てする
3.B氏は1についてA氏を批判する
における「1という行為と2という行為により生じる状況下での3という行為
により生じる状況」を表現しているに過ぎません。つまり、それらの行為を対
応関係に入れた時点で既に「自己棚上げ」も入っているわけです。
#エンジンをかけるとかアクセルを吹かすとかハンドルを回すとかの諸々を考
#え合わせると自動的に「自動車の運転」になってしまうようなものですね。


>で、「味噌汁」は「味噌汁の材料」を組合せたものだから、
>
>味噌汁 : 他人のポイ捨て、自分のポイ捨て、および批判を組合せたもの
>
>という対応になります。

で、それを「自己棚上げの批判」と述べているわけです。

>さらに、「味噌汁の中の豆腐」というのは「味噌汁という状況の中にある豆腐」
>という意味だから、
>
>味噌汁の中の豆腐 : 自他のポイ捨てが行なわれた状況の中の批判
>
>という対応になります。
>ここまでは理解できます? 極めて自然な対応関係ですよね?

で、だな。
ここで豆腐*だけ*を評価するのであれば、「味噌汁の中に石ころが入っている
か否か」は無視されてしまうわけです。
#「批判自体は問題ない」ってのはつまりそういうことでしょう。


>批判というのは豆腐です。

だったら、味噌汁は何なのさ?
「相手に対して何事かを述べ伝える」といった小行為としての「批判(小)」を
味噌汁の具に喩えるのは問題ありません。
#「車を走らせる」に対する「アクセルを踏む」のようなもの。
しかし、それを評価対象たる大行為としての「批判(大)→味噌汁」と混同する
のは間違いです。

>「豆腐(批判)」というカテゴリの中に「石ころの入った味噌汁の中の豆腐(自
>己棚上げになる状況での批判)」があるわけ。

それはどちらも小行為としての「批判(小)」に過ぎませんよ。
正確には
・石ころ(自己棚上げ)の入った味噌汁の中の豆腐(批判)
・石ころ(自己棚上げ)の入っていない普通の味噌汁の中の豆腐(批判)
でしょう。
#それでも、「豆腐自体には問題はない」か否かは異論の残るところですが、
#何れにせよ、それは本論ではないでしょう。

つまり、批判というカテゴリの中に「普通の批判」と「駄目な批判」があるわ
けで、駄目か否かは例えば「自己棚上げか否か」といった駄目な材料を使って
いるか否かで決まるわけですね。
何を何に喩えるのも自由ですが、この場合は批判(大)を味噌汁に自己棚上げを
石ころに喩えるのが合理的でしょう。そうであれば、手段としての具体的な批
判行動である批判(小)を豆腐に喩えても問題ないですね。しかし、ここで批判
(大)と批判(小)を混同してしまうと「全体でありながら部分でもある」という
矛盾に陥ってしまうわけです。
#逆の現象として、「全体の一部でありながら全体に含まれない」というより
#重篤な矛盾も生じています。

-- 
wacky