KGK == Keiji KOSAKAさんの<bub6pa$sa8$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>! "<3feda3dd$3$19831$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>!     Sun, 28 Dec 2003 00:24:17 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<br1i19$j7m$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> ! "<3fad2966$0$19847$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>>> !     Sun, 09 Nov 2003 02:36:01 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>>> 
>>>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<boie48$8en$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>>> 何故、そういう風に二分するんでしょう?
>>>>> 被害の度合と迷惑の度合を独立に議論すれば済む話でしょうに。
>>> 
>>>> そんなん詭弁そのものじゃん。^_^;
>>>> その「迷惑」ってのは「被害を受けたこと」そのものでしょ。
>>> 
>>> 違います。
>>> 「被害を受けたことによって困ったり不快に思ったりすること」です。
>>> 「被害を受けること」と「不快に思うこと」は別の事象であり、取り扱いの相
>>> 当違うものです。
>
>> だから、「被害」を抜きにして語れないでしょ。その迷惑は。
>
>「被害を受けたこと」そのものじゃないですよね?

繰り返しますが、「被害を受けたこと」が存在しなければ「被害に起因する迷
惑」は存在しえません。分かりますよね。
つまり、対策としては被害を取り除くことのみを考えれば良いのであって、敢
えて「被害に起因する迷惑」を無理矢理切り離して考える必要はないでしょ
う。
#被害自体は肯定しながらそこから発生する迷惑だけを否定したいのでもない
#限りはね。

>一番大きな違いは、「被迷惑者の認識」というフィルターがかまされることで
>す。
>そのフィルターによって増幅されることも減衰されることもあります。

#そんな主観的な話を何処に持って行こうってんだか…


>> 一緒くたに扱うのが間違いなのは「被害を受けることによる迷惑」と「被害に
>> 無関係な迷惑」でしょう。
>
>迷惑問題として捉える限り、どちらも質としては同じです。

いや、その質は全然異なりますよ。
理由は以下↓。

>「影響を受けたことによる迷惑」の「影響」の部分が被害と呼べるかどうかの
>違いしかない。

大違いじゃん。
その「影響」の部分の存在に関する信憑性がまるで異なります。

>そんなところで二分して、しかも二つに分けただけで安心するよりも、ちゃん
>と迷惑の度合を考えて、それで区別する方がよいでしょう。

「被迷惑者」の主観的主張を100%正しいと仮定するのであればそれでも良いで
しょうが、そのような仮定を無批判に前提とすること自体が誤りでしょう。

>もちろん、(辞書通りの意味での)被害の問題として捉えるときは、迷惑の度合
>なんて関係ありません。
>被害の度合を論じればよろしい。

被害の程度が小さかったら何だと言うのでしょうか?
迷惑とは異なり、被害には「許容すべき限度」なんてものは無いように思いますが?
被害であることが確定しているのであれば対策を論じるべきでしょう。
#そして、その対策が功を奏せば迷惑も滅するわけです。


>>>>>> だからこそ、「迷惑だから同じ」はオカシナ話なんじゃん。そこには「被害
>>>>>> の有無」という厳然たる違いがあるんだから。
>>>>> 
>>>>> 「迷惑だから同じ」ってのは何の話です?
>>> 
>>>> とぼけちゃあいけませんや。^_^;
>>> 
>>> 答えられないんですね。
>
>> 上記。
>
>全然答えになってません。
>「迷惑だから同じ」ってのは何を同じとしてるって捉えてるんでしょう?

以下、

>> 一緒くたに扱うのが間違いなのは「被害を受けることによる迷惑」と「被害に
>> 無関係な迷惑」でしょう。
>
>迷惑問題として捉える限り、どちらも質としては同じです。

そのまんまですね。


>全く当たり前の話ですが、程度の違う迷惑にはその程度に応じた配慮が求めら
>れます。

それが理解できるんであれば迷惑と被害の程度の違いについても理解されてい
るはずですよね。

-- 
wacky