KGK == Keiji KOSAKAさんの<bdjqgk$e0e$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bbsa5n$538$4@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> $> というわけで、社会的閾値のどちら側だろうが「A・Bが同じ側にいれば非難
>> $> は不当」と言っているわけ。「相対レベル」は不要です。
>> $
>> $「A・Bが同じ側にいれば」ってのはまさに相対的な評価ですね。
>
>> と言った時点で「相対」で表現される意味が変化しているようです。
>
>この時点で不充分だったのは、「A・Bが同じ側にいなくても非難が不当な場
>合がある」って指摘ですね。

#それ以前に4パターン全てを文章で説明しているはずですが?


>>>>>> でも「正当防衛で撃ち殺した」場合には「その行為に到った事情を考慮されて
>>>>>> 当然」なんですよね?
>>>>>> 「女子トイレに潜んでいたので(他の)痴漢を捕まえることができた」のとの違
>>>>>> いはなんですか?
>>>>> 
>>>>> 前者は撃ち殺すことで状況が改善されてますが、後者は痴漢を捕まえることで
>>>>> 状況が改悪されてません。

>>> デフォルトが悪か善かの違いです。
>
>> つまり、「撃ち殺す」が悪で「痴漢を捕まえる」が善なわけですな。
>
>デフォルトではね。
>
>>> 「事情」によってデフォルトから反転するかどうかを見てるわけ。
>
>> そこが分からない。何で反転しなきゃイカンのでしょう?
>> 「痴漢を捕まえることで状況が改善された」がダメな理由は何?
>
>ダメじゃないですよ。
>「痴漢を捕まえることで状況が改善された」ので、「たとえ、女子トイレに潜
>んでいたにしても痴漢を捕まえることは善」という評価になる。

「反転」はどうなったんですか?
#ちょっとワケワカランです。


>> KGK氏の主張から「その行為に到った事情を考慮するのは当然」なわけだよね。
>> その「事情」が個人的なものであろうと
>> #たとえば「私が殺されかけている」といった個人的事情であろうと
>> 「行為」と「行為者」を結び付けることにはならんわけだ。
>
>ここまではいいとして、
>
>> であれば当然、
>> 「その批判者が同様の別の行為を自ら行っている」という「事情」は「批判」
>> と分かち難い「属性」として考慮される。と言えるわけなんだが…。
>
>それは、「その行為に到った事情」では全然ないし、「分かち難い」と主張し
>てるのはwacky氏だけなので、

#オタクの学会では主張しているのが一人だと即座に誤りと判定されるんです
#か?

>> であれば当然、
>
>ではないですね。

「事情」が「その行為に到った」のみでなければならない理由も何ら説明され
ていないし…。

-- 
wacky