hidesanさんの<3ed4c7f6.963%h@itfrontier.com>から
>wackyさんが<3ed3f686$0$3100$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>でお書きになりました。
>>
>>基本的に「他人に迷惑を掛けるのは悪いこと」で「許容されたからといって
>>「良い」になるわけではない」です。これは「良い・悪い」の話。
>>
>>「やって良い・やっちゃダメ」の話で「許容されたからといって迷惑に変わ
>>りないんだからやっちゃダメ」と言ってしまうと、社会生活における殆どの行
>>為が「やっちゃダメ」になってしまいます。これは現実的ではありません。
>
>と、なると
>「悪い事だけれども許容されているからやって良い(ものもある)」
>という理論が成り立ちますね。

はい。

>この対象となる行為は「許容されるからやって良い」という物では
>ありませんよね、結果としての迷惑が許容されたのであって、行為
>の正当性が評価されたわけではないでしょう。

「結果としての迷惑」への評価として「許容される」があり、それによって行
為が正当化されるものと考えます。

>「確信犯」として該当の行為を行えば批難は甘受しなければいけな
>いと思いますが如何でしょう?

それでは、誰も彼もがお互いに非難しあうだけでよろしくないでしょう。
#少なくとも「社会生活を営む上で不可避」な部分が存在するわけですから、
#そのように考えると全ての人が「確信犯」ということになってしまいます。

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wacky