佐々木将人@函館 です。

>From:ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp>
>Date:2005/02/06 20:16:38 JST
>Message-ID:<koabe-7706CA.20163806022005@news01.sakura.ne.jp>
>
>誰かが反対したら、その慣習法はなかったことになる
>のですか?

国際法だと「一貫した反対国の理論」というのがあって
慣行の存在について否定を続けてきた国については
国際慣習法の適用が否定される場合があります。
(例の本だとp66)
しかしこの場合でも国際慣習法であることが否定されるのではなく
適用範囲から除外される=一部範囲に限定される国際慣習法である
ということになります。

だけど……
そもそも法と呼べるものでなければ
「慣習法」と「事実たる慣習」を区別するのは意味がないし
「反対の有無」を議論するのもナンセンスです。

ちなみに……
例えば慣習の存在を認めた最高裁判例はいくつかあるはずなんだけど
平成11年3月11日最高裁判決は
「返済期日が毎月X日とされた場合に、ある月X日が休日であれば
 その月の返済期日は翌営業日である」ことを
一般的な取引の慣習として認めたものなんですが……。

このことに同意した人、どれだけいます?(笑)
あと、反対した人は?(爆笑)

……慣習を語る時に同意の有無を議論するのがどれだけむなしいものか
  これでもわからない人が……まあいるかもしれませんな。(笑)

さらに余談を言うと
慣習の存否ってまず認識力の問題でして
同じような事実を見ても
それをそうと認識できない人は一定数いるものです。
それこそ上の
「返済期日が毎月X日とされた場合に、ある月X日が休日であれば
 その月の返済期日は翌営業日である」
だって、
「そんな慣習は存在していない」
って主張する人は一定数いるはずなんですよ。
国際慣習法の話でちょっとだけやった
「頻繁かつ実質的に一様」にしたって
何をもって頻繁とし何をもって実質的に一様とするか
明確な基準をたてられないじゃないか
ボーダーラインをきちんと決められない以上
ボーダーラインの近辺では意見が分かれるじゃないか
という指摘はあり得るし
そういう意見に配慮して基準を具体化していこうというのは
全く無意味でもないとは思うんです。
だけど認識力に欠ける人の場合
そもそも慣行が存在していることの認識が得られないことがありますんで
例えば「列を作って待つという慣行の存在」が
認識できない人っているんですよ。
そういう人に列の定義を説いてみたところであまり芳しくない……。

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