佐々木将人@函館 です。

>From:Shiro <h9shiro@tky2.3web.ne.jp>
>Date:2004/03/08 08:09:05 JST
>Message-ID:<c2ga18$19ll$1@usj.3web.ne.jp>
>
> 佐藤功先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
>置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。

疑問に思うのは自由です。

もっとも上記の主張は結論において不適当ですし
推論過程にも大問題ありでしょう。

まずある文献が別の文献を引用しなかった場合
その理由は複数考えられます。
1 その文献はもともと初心者・門外漢向けのものである
 普通の一般向けの新聞・雑誌の類では
 参考文献があってもあげない例が多いでしょう。
 これは著作権法の侵害にならないような参照方法であれば
 いちいちあげることがかえってわかりにくいことになるし
 また初心者向けの説明だと
 特定の1つの文献をあげなくとも
 普通に読めばたいてい載っているからという理由で
 省略することもあるでしょう。
 例 「善意」……法解釈学における基本用語なので
   特定の文献を参照させる実益がない。
2 その文献の作者がもともと不勉強である
  ……読むべき参考文献を読んでいない。
3 引用の必要がない
  ……関係なければ引用する必要もなし
    また全部をあげる必要もありません。
4 引用する価値がない
  ……引用すべき文献として不適切
しかし上記の主張は
「引用されてない」という事実で1~3の可能性を切り捨て
4であると決めつけている偏見があります。

また図書館に置いてあるかどうかは
その図書館の収集方針とリクエストの有無と予算によって決まります。
私がよく行く上磯町の図書館には
国際法の本など全然置いていないに等しいですが
(我が家の方が数十倍はある)
そのことは田畑茂二郎先生の本が
探す価値のない本であることを示しているものではないことは
普通は言うまでもないことです。
そこを図書館にないということで価値に疑問を持つ点で偏見。

また結論において不適当なのは
ちょっと(古い本で)憲法の勉強をした人だと
「佐藤幸治先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
 置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。」
「芦部信喜先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
 置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。」
と言っているようなものだということがまるわかりな点です。
今でこそ世代交代したけど
20~30年前は司法試験委員をされていたこともあって
司法試験をはじめ国家試験の憲法の基本書の1つとして通用していたのが
佐藤功「日本国憲法概説」です。
このことも知らず
またつい20~30年前の学説状況すらわからないのであれば
「価値があるのか疑問」というのであれば
明治憲法の解釈は困難ですし
明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
……やめておきなさい。

(ちなみに佐藤幸治「憲法」芦部信喜「憲法」とも
 佐藤功「日本国憲法概説」を参考文献にあげています。)

> 図書館にあった憲法の本によれば、主権の在り方について天皇機関説と天皇
>主権説が有り時代により片方が有力な説(国家公認の説)になった、という事
>だと思います。

第1に本の記述と自分の意見を書き分けましょう。
第2に出典を明記しましょう。
それすらできないなら
明治憲法の解釈は困難ですし
明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
……やめておきなさい。

> 「当時」とは具体的には何年のことでしょうか。

天皇機関説発表から1945年ころまで

>>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>>れたとは思えません。
>>
>>それは法律の問題ではありません。
>>
>>> 最初からそうなら天皇機関説排撃運動は起きなかったと思います。
>>
>>気のせいです。
>>法律の問題から離れますが
>>天皇機関説を法解釈の問題だけとしか考えないのであれば
>>それこそ歴史学の成果を無視するものでしょう。
>
> 「それは法律の問題ではありません。」

そうです。
「それは法律の問題ではありません。」から
>>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>>れたとは思えません。
というのは理由になっていません。

>>>排撃運動
>>>が起こったのは「明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています」と
>>>考えられていなかったのでは。
>>
>>違います。
>
> 論拠も示さずに断言しても無意味です。

論拠は既に引用文献の形で示してあります。
示された文献を読まないで無意味だなどと言っても無意味です。

>・1912(大正1)年に上杉慎吉が美濃部の天皇機関説を批判して論争が
> 起きたが、美濃部の学説は多くの学者に支持され1920年代には
> 国家公認の憲法学説としての権威を得た。
>・1935(昭和10)年に機関説排撃運動が起こり、美濃部の
> 天皇機関説は国体に背く学説として攻撃された。
>という出来事は、憲法論争で天皇機関説が勝ち20年以上国家公認の憲法学
>説だったが、政治運動としての天皇機関説排撃運動が起こり国家公認の憲法
>学説でなくなった事を示しています。

出典を示していないので論評できません。

> 法はその社会の実情に合わせて作られる物だと思います。従って旧憲法が当
>時の日本の実情に合わせて作られたなら、大臣責任制の内容が旧憲法特有の物
>であっても当然だと思います。

大臣責任制というのは
「大臣が議会に対して責任を負う」システムを指すのです。
例えば法律学小辞典(第1版)では
「とりわけ議会に対して負う責任で、
 議会の信任を失ったときは退任・総辞職する責任。
 明治憲法では、この責任は明定されず」
としています。

法解釈学の議論をしたいのであれば
法解釈学で通常使われる定義によって議論すべきです。
自分勝手な定義をしてもよく言えば誤解されるだけし
悪く言えば「まともな議論をする気がない」と判断されるでしょう。

> 天皇の神聖不可侵の規定は
>「立憲君主制における君主の無答責+天皇が神の子孫として神格を有する」と
>いう説です。

日本語として趣旨不明です。
規定は説ではありません。

> つまり、天皇の神聖不可侵の規定は
>「立憲君主制における君主の無答責」を否定していないし、
>「天皇が神の子孫として神格を有する」だけだともしていない、
>という説です。

日本語として趣旨不明です。
それに「無答責」の意味も曖昧です。

天皇が神の子孫で神格を有するのであれば
天皇は誰に対して責任をとるのでしょう?
少なくとも日本国民ではないはずです。
ゆえに天皇が神の子孫であり大権がそこに由来すると言った瞬間
責任をとる必要がないのですから無答責です。
誰もその点を否定してはいないはずです。
そしてその点を除けば
> つまり、天皇の神聖不可侵の規定は
>「天皇が神の子孫として神格を有する」だけだともしていない、
>という説です。
これは正解の記述です。
そして神格を有するだけではないのだから
普通の人はそれを「天皇神格化」と表現しているだけのことです。

>>その他
>>「大臣は天皇の輔弼者であり、天皇に対し責任を負う」
>>(大臣責任制における責任とは議会に対するもの。
>> そのため後に議院内閣制に発展する。)
>>「天皇は大臣を自由に任免できた。
>
> 天皇が大臣を自由に任免した事例を教えて下さい。

歴史家に聞いてください。
法解釈においては不要だと思います。

なお
「天皇が大臣を自由に任免した例はない。」
ということは
「それは憲法違反だからだ。」
ということを意味していません。
憲法違反だというのであれば
そう示している文献を明示してください。
現行憲法下で国民審査で解職された最高裁判事はいませんが
これは国民審査で解職することが憲法違反だからではありません。
ある事実の不存在は存在すれば憲法違反だというからだとは
限りません。

> 大臣の任免について憲法に規定がないので、『憲法上の制度ではない「内大
>臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』事を批判しても無意味だ
>と思います。

きちんと憲法の本を読みましょう。
それからきちんと論理構造を考え
自分自身の投稿で何を書いたか覚えておきましょう。
「大臣の任免について憲法に規定がない」
なら
憲法上の制度として大臣責任制があるはずもなく

>From:Shiro <h9shiro@tky2.3web.ne.jp>
>Date:2004/02/25 08:18:01 JST
>Message-ID:<c1gm2e$2eev$1@usj.3web.ne.jp>
>
>第五十五条 
>  1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 
>  2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス 
>は大臣責任制を示しているのでは。

の答は明確にNO=示していないになります。

また輔弼の意味をどうとらえたとしても
輔弼機関が複数あることは大臣責任制ではないことを示しています。
上記の批判を無意味としか読めないなら
輔弼の意味や大臣責任制の意味を
きちんと学ぶ必要があります。

> また、『「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』のな
>ら、それを「天皇は大臣を自由に任免できた」というのは無茶だと思います。

無茶だとしか思えないのであれば
きちんと勉強する必要があります。

> 明治憲法がビスマルク憲法を元に作られているのなら、イギリスにおける君
>主無答責と異なっていても当然だと思います。

これはそのとおりですが
だとすれば次に
ビスマルク憲法で君主無答責と言っていいのかどうかの問題が来ますし
それは私が最初に

>Date:2004/02/21 11:12:21 JST
>Message-ID:<20040221111221cal@nn.iij4u.or.jp>
>
>なお
>「欧州の憲法に在った「君主無答責条文」」というのには
>私自身は抵抗があります。
>もともと君主無答責という語自体
>単純に「責任を負わない」という意味ではなく
>それに何らかの意味づけをした上で使用される
>どちらかというと政治学における用語だと思いますが
>単純に「責任を負わない」という意味だとしても
>当時の欧州の憲法を「責任を負わない」という点でくくっていいかと言えば
>それはあまりにも荒すぎると思うのです。
>……同じ君主制でもイギリスと1871年当時のドイツでは
>  意味が全く異なるからです。

と指摘したとおりです。

> 「明治憲法はビスマルク憲法の影響を受けている」と言う説と、「明治憲法
>はプロシャ憲法の影響を受けている」と言う説とが有りますが

上で言うプロシャ憲法はどこの国で何年に施行されたものですか?
それとビスマルク憲法との違いは?

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
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まさと「振袖着れるようになったの?」ルフィミア「はい。勉強しました。」